波瀾万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語「再起動 リブート」。バブルに踊らされ、金融危機に翻弄され、資金繰り地獄を生き抜き、会社分割、事業譲渡、企業買収、追放、度重なる裁判、差し押さえ、自宅競売の危機を乗り越え、たどりついた境地とは何だったのか。
本連載では話題のノンフィクション『再起動 リブート』の中身を、先読み版として公開いたします。


今から殴り込みに行くから待っとけや──[1993年7月]

 もうひとつ、解決しがたい難問があった。

 既存クライアントからの無理難題が、僕たちの手に負えないレベルに達していたのだ。反社会勢力とは一線を画するよう、取引する際にはクライアントの信用情報などに気を配っていたものの、なかにはヤクザまがいのコワモテの人たちも存在した。だが、岩郷氏は、エスカレートするクレームを鮮やかにさばいていった。

「ふざけんな、おんどりゃー。今からお前んとこ殴り込みに行くから待っとけや」

 すごみをきかせるクライアントに対しても、表情や声を荒らげることなく、淡々と彼らの要望を聞き、できることできないことをゆっくりと説明する。穏やかでありながら、野太い声や方言の混じった口調から、並々ならぬものが伝わるのだろう。電話口で興奮していた彼らも、しだいに冷静になって岩郷氏の言うことに耳を傾けた。

 バットを持ってオフィスに乱入したクライアントもいた。小指のない数名がオフィスに乗り込んできたこともある。普通なら震え上がるような局面でも、岩郷氏は動じることなく事態を収拾していった。

「てめーらのシステムが昨日ダウンして何十万も損したんだ。弁償しろよ、こら」

「申し訳ありませんが、契約では納品後のトラブルは弁償しないことになっています。最善を尽くして対応しますので、お許しください」

「契約もクソもあるか、アホウ」

 相手がテーブルの上にあった大きなガラスの灰皿を持って、こちらを殴ろうと振りかぶったその時だった。

「どうされるおつもりですか?」

 岩郷氏はそう言って、振りかぶった灰皿の先に自分の頭をゆっくりと差し出したのだ。それもニコニコ微笑みながら。相手はそれでおとなしくなった。鮮やかな手綱さばきだった。

 最難関の資金繰りをどうするか。

 岩郷氏は現金確保のために、複数の大手取引先に対して、支払いサイトの変更を一斉に要請する手段をとった。通常1ヵ月サイトを2ヵ月ないし3ヵ月に変更することで、手元資金の確保を狙ったものだ。当然、多くの取引先からクレームが入り、取引停止を通告してきたところもあった。業界内にはフレックスファームに対する信用不安の噂が駆け抜けた。

 だが、緊急時に必要な資金が手元に残ったのも事実だった。きわめて荒っぽいやり方で副作用も激しいが、背に腹はかえられない。僕や福田はハラハラしながら事態を見守った。

 また、岩郷氏は、それまでエンジニアの会社だったフレックスファームを、短期間のうちに営業会社に変貌させた。とにかく資金が足りないのだから「現金を持ってくる」わけだ。

 岩郷氏は書店やコンビニでいかがわしい雑誌をどっさり買ってくると、広告を掲載している会社に片っ端から電話をかけるよう、営業社員に指示した。すでにダイヤルQ2の番組を持っている会社には「月々の費用がお安くなりますよ」、まだはじめていない会社には「ひと儲けしませんか?」と勧誘するのだ。

 特に彼が重要視したのは、テレアポの際のトーク、応酬話法だ。緻密に練られたシナリオをベースに、岩郷氏自身が顧客となって電話営業を何度もシミュレーションする。営業社員はその繰り返しで交渉のノウハウを会得していった。また知らない人に電話をかけるという精神的な障壁も、岩郷氏の巧みな話術にかかるといつの間にか失せてしまうのだ。

 NTTが新たな規制を導入する「Xデー」は近づいていたが、岩郷氏は気にかけるそぶりもない。営業社員が一人残らずテレアポ部隊となり、ひたすら電話をかけ続けた。

 既存クライアントにレンタルしていた約100台のサーバーを買い取りに切り替えてもらう営業も開始した。フレックスファームが倒産したら、レンタルサーバーを差し押さえられて使えなくなるかもしれない。信用不安の噂を逆手にとった巧妙な営業だった。結果的に多くのレンタルサーバーを買い取ってもらい、預かり保証金の相殺とともに、数千万円の現金が生み出された。

 レンタルから買い取りに切り替われば、毎月の固定収入は減るが、規制強化のXデーがくれば、その収入は途絶えてしまうかもしれない。サーバーを買い切りにしたことで、レンタルゆえに避けられなかったクライアントからの無理難題が激減するという副次的な効果もあった。

 岩郷氏のおかげで、それまで手つかずで山積していた問題が一気に解決に向かい、目の前の霧が晴れていった。資金不足による倒産を防いだこと自体、奇跡的なことだった。しかし、それは新たなる危機の序章でしかなかったのだ。