筆者が3月14日に書いた「福島原発震災 チェルノブイリの教訓を生かせ」について、「逆引き日本経済史」第24回(4月1日)の冒頭に補足したが、稿を改めて主題を変え、さらに補足を追加して再論しておきたい。

 3月14日付のレポートを書いたのは1号機建屋が水素爆発で吹き飛んだ直後である。その後、2、3、4号機のすべてが損傷しているので事態はより悪化しているが、レポートの論旨に変更はない。

 筆者は第1のチェルノブイリの教訓としてこう書いた。

まずは30キロ圏内からの脱出を準備すべきだ。この距離の根拠はチェルノブイリの経験である。重大事故の場合はまず30キロから脱出。このチェルノブイリ基準くらいしか人類に経験はない。

 あれから約3週間経過して、政府は20-30キロ圏を「自主避難」にした。自主避難では政府として無責任だ。30キロ圏内を立ち入り禁止、30キロ圏外でも局所的に放射線量の多い北西地域は避難するしかない。政府・電力会社は責任をもって住民を保護し、避難を実行しなければならない。

 重大事故(放射性物質の漏出)の発生では、各国で避難区域の距離が異なることはよく知られている。

・ フランス 10キロメートル
・ アメリカ 16キロメートル(10マイル)
・ ドイツ 20キロメートル
・ スイス 20キロメートル

 チェルノブイリでは爆発事故(1986年4月26日)の翌日、4月27日に半径10キロ圏内が避難地域に指定された。当初はフランスの基準だったのである。

 6日目の5月2日に30キロ圏に拡大されている。つまり、重大事故の避難地域はチェルノブイリで30キロに拡大されたわけで、ポスト・チェルノブイリ時代のいま、人類の経験はこのチェルノブイリ基準しか参考になる尺度はないのである。

 チェルノブイリ4号炉はいきなり爆発して放射性物質が大規模に飛散したので、初日の放出量がいちばん大きく、2日目から低下し、6日目の5月2日にはかなり低下している。したがって6日目の30キロ圏避難命令は遅すぎた。すでに避難対象の住民13万5000人が被曝した後だったのである。避難区域以遠を含めると、被曝したのは500万人といわれている(IAEA、2005)。

 その後、7日目の5月3日から再び放出量が増加し、10日目の5月6日にピークとなり、5月7日に急速に落ちる。この間、必死の放射線防護作業が行なわれていた。

 チェルノブイリ原発事故ではどのような防護作業を行なったのか、これは次の機会に報告することにしよう。

 チェルノブイリの知見では、放射性物質は同心円状に飛散するのではなく、30キロ圏外でも局所的に放射性降下物が多く検出されている。北東に100キロ離れたゴメリ(現ベラルーシ)で原発近辺と同じくらいひどく被曝したことが知られている。これをホットスポットという。ホットスポットは他にも南西部に現れることになった。