(2006年2月、上海)

 料理に箸を進めながら、隆嗣がようやく幸一に向かって口を開いた。

「うちの運転手が言っていたよ。君は中国語が上手いらしいね。シンガポールで長いこと暮らしていたんだって?」

 幸一は慌てて箸を置いて答えた。

「はい。父の仕事のために、小学校から中学校まで……。大学もシンガポールで出ました」

「我が社で唯一の国際派ですよ」

 岩本が横からアピールしてくれる。

「つまり、君も日本に馴染めない人間だったということかな」

 平坦な口調で語られた隆嗣の言葉を受け、幸一は胸が高鳴るのを覚えた。

「ハハハ、相変わらず手厳しいですなあ、伊藤さんは」

 岩本のフォローに、隆嗣は皮肉な笑顔で応えた。

「私と同じだという意味で言ったんですよ。しかし、これから中国でビジネスマンとしてやっていこうと思うのならば、苦労を覚悟しておいた方がいい。検品だけの上っ面仕事で十分と考えているのならば別だが……」

 すると幸一は、隆嗣に向かって頭を下げた。

「是非教えてください。どのようにすればいいのでしょうか?」

 若さが為せる率直さに、隆嗣も冷静な表情から僅かに温顔を覗かせる。

「まあ、海外での価値観の違いによる戸惑いなどは、君も十分に理解しているだろうし、この商売の経験もあるらしいから即戦力だと聞いている……。先ずは、この国の本質を知っておいたほうがいいだろう。さもないと、さっきも言ったように上っ面仕事だけで終わるよ。君も判っているだろうが、外地で暮らすなら、その国の歴史を知ること。そして、今の体制を把握することだ。君は、資本論を読んだことはあるかい?」

「マルクスの資本論ですか? 正直言って、読んだことはありません。大学の講義で、要約だけは聴いたことがありますが」

 幸一が恥じ入るように俯く。