世界で約50名しか成し遂げていない偉業「探検家グランドスラム」(世界七大陸最高峰、北極点、南極点を制覇すること)を世界最年少で達成した南谷真鈴さん。本連載では、南谷さんが快挙を成し遂げることができたエッセンスをお伝えするべく、話題の新刊『自分を超え続ける』の内容を一部公開いたします。連載第2回。

南谷真鈴さんが世界最年少で<br />「探検家グランドスラム」を達成できた理由
南谷真鈴さんが世界最年少で<br />「探検家グランドスラム」を達成できた理由南谷真鈴 (みなみや・まりん)
1996年、神奈川県川崎市生まれ。1歳半でマレーシアに渡り、大連、上海、香港など幼少時から約12年間を海外で生活。2016年7月、北米大陸最高峰デナリに登頂し、日本人最年少の世界七大陸最高峰登頂者となった。早稲田大学政治経済学部に在学中。「CHANGEMAKERS OF THE YEAR 2016」受賞。「エイボン女性年度賞2016」ソーシャル・イノベーション賞受賞。

「勢い」と「思い切り」でチャンスを拡大する

 1つのチャンスを生かしてより大きなチャンスにするには、勢いと思い切りも必要ではないでしょうか。

 私がエベレストにとどまらず世界七大陸最高峰登頂を目指したのも、七大陸にとどまらず「探検家グランドスラム」を目指したのも、勢いと思い切りでチャンスを大きく広げていった結果だと思っています。

 2015年12月、南極大陸最高峰ビンソン・マシフ登頂の目的は、翌年5月のエベレストに向けてのトレーニング。寒冷地で高所に順応するためで、出発時には南極点にチャレンジすることは考えてもいませんでした。

 南極大陸は世界で5番目に大きい大陸で、日本のおよそ37倍の面積。その98パーセントが氷で覆われ、極度に乾燥した「白い砂漠」です。私が南極に行った12月は、1日24時間、太陽が沈まない白夜。チリからロシアの軍用機で南極入りした時はあたり一面がひたすら白く明るく、別の惑星に来たような不思議な感覚に包まれました。

 すぐにでもスタートしたいのに、悪天候で登山を始められず、私はベースキャンプで待機することになりました。

 南極には60以上ものベースキャンプがあります。日本の昭和基地をはじめとして世界約30ヵ国が拠点をもっていますが、ほとんど観測用の基地ばかりです。そんななか、私が滞在した「ユニオン・グレーシャー・キャンプ」は唯一の民間基地。80名ほど収容できる宿泊施設でもあります。

 12月20日、天候待ちのベースキャンプで私は19歳の誕生日を迎え、チームメイトをはじめとするたくさんの人たちにお祝いしてもらいました。とにかく待機時間が長かったので、私は積極的にいろいろな人に話しかけ、さまざまな話を聞きました。

 極地探検家のエリック・ラーセンさんに出会い、北極遠征について聞くことができたのもラッキーでした。エリックさんはわずか1年で南極点と北極点、エベレスト登頂をやってのけ、さらに自転車で南極点に行ってしまったすごい人です。

 「七大陸登頂プラス南極点と北極点到達で、『探検家グランドスラム』達成になる」
 そう知ったのも、この時でした。

 ようやく天候が回復したのは4日後。いよいよビンソン・マシフに向けてスタートです。まずは出発点となる標高2200メートルのビンソン・ベースキャンプに移動となります。

 ご存じの方も多いと思いますが、標高の高い山は一気には登れません。

 まず、基地として物資が蓄えられているベースキャンプを目指し、そこから「キャンプ1(C1)」を目指し、さらに上の「キャンプ2(C2)」「キャンプ3(C3)」を目指すというように、山頂へと進んでいきます。徐々に高所に慣れていくために、C3からC2へといったように、いったん山を下ってから再び登ることも珍しくありません。

 私たちのチームはC2に到着したところで、またまた悪天候による待機。ようやく山頂に行けそうだという12月28日、空は怪しかったものの、一瞬の隙をついて一気に登頂となりました。

 本当に一瞬。すぐに天候が崩れ始めたので、登頂したとたん、下山スタートです。記念写真を撮る暇もないほど慌ただしく、あっけないくらいでした。体力も気力もまだまだ満タンだった私には、ものたりなくもありました。

 だからこそ、探検家グランドスラムが急に現実味を帯びてきたのです。

 「エベレストより七大陸、七大陸より探検家グランドスラム。どうせチャレンジするなら、より高みを目指したい。今、せっかく南極にいるのだから、南極点に行くチャンスは逃せない!」

 山を下り、ユニオン・グレーシャー・キャンプに戻っても、天候が悪くて帰りの飛行機が飛ばないというのだからなおさらです。

 心はもう、決まっていました。
 決意したら実行あるのみ。さっそく父に電話です。

 「今、ビンソン・マシフから下山したの。これから南極点も行ってくるから」

 東京の自宅にいる父は正月気分も抜けないようでしたが、衛星電話で用件だけ伝えた私は、何か言っている父の言葉をさえぎるように「Dad, I love you!」と言って電話を切ったのでした。

 ビンソン・マシフのチームメンバー全員が帰る準備を始め、飛行機待ちとなっているなか、私はベースキャンプにいた「南極点を目指す」という人々と新たなチームを組むことになりました。

 「今回の南極はビンソン・マシフのためだったから、とりあえず帰国して、南極点はまた改めて考えます」という選択肢もあったでしょう。19歳になったばかりの私には、いつかまたチャンスが来るかもしれません。

 しかし、何歳だろうと、それは「いつか」であって「今」ではない。
 「今」チャンスに乗るというとっさの決断で、南極点が一気に近づいてきました。