1946年、弱冠36歳のP.F.ドラッカーは第3作目の著作、『Concept of the Corporation 』(最新邦訳「企業とは何か」 2008年、ダイヤモンド社)を刊行した。題材はゼネラル・モーターズ(GM)であり、テーマは「マネジメントと組織」だった。

  GM会長のスローンからの要請を受けたドラッカーは、第二次世界大戦中の1943年から1年半の間、GM社内の隅々に入り込み、あらゆることを調べつくした。ドラッカーがGMに興味を引かれた理由は、3つある。

 第1に、戦前において25万人、戦後のピーク時にはその2倍という膨大な雇用を誇る米国最大のメーカーであった。第2に、大量生産の草分けとして近代産業社会を代表する自動車産業の会社であった。第3に――これが最大の理由だが――、米国企業のなかで「マネジメントと組織」に関わる問題に正面から取り組んでいた唯一の企業であった。GMは近代企業および近代組織の典型だったのだ。

 ドラッカーが解き明かしたことをひと言で言えば、GMが成功させた巨大企業における「分権制の組織と原理」だった。それまで、マネジメントと組織の概念、手法を体系的、実証的に研究した事例も学者も皆無だった。そうしたジャンルそのものがなかったのである。

 この著作は、世界中に多大な影響を与えた。フォード再建の教科書となった。GEを初めとして世界中の大企業が分権制組織を導入する際の参考書となった。大学改革、米軍の統合、教会の組織改変の手引きにもなった。

 だが、GMだけは受け入れなかった。自ら自社分析を要請しながら、その結果を無視し、時に非難を繰り広げた。

 なぜか。ドラッカーが、GMの「分権制の組織と原理」を優れた完成型と分析、賞賛する一方で、「マネジメントというものは、20年もすれば時代に合わなくなりうるものであって、4年間にも及ぶ戦時生産から平時生産への移行に際しては、あらゆる経営政策を見直す絶好の機会だ」と、指摘したからだった。

 彼は、具体的な提言もした。当時、シボレー事業部はフォードやクライスラーより大きく、それ自体が米国最大の企業だった。そのため、反トラスト法違反で訴えられたこともあり、受身の経営になりがちだった。そこで、シボレー事業部、そして他の乗用車事業部、トラック事業部も独立させ、反トラスト法に制約されることなく、互いを競争させることを検討してはどうか、と書いた。

 GM幹部の多くは、唐突で破壊的だと激怒した。