日本ではその名はほとんど知られていないが、米国でコアなファンに支持を受ける日本発のタイヤがある。東洋ゴム工業の「NITTO」(ニットータイヤ)である。

 「タフでかっこいい」「こんなデザイン見たこと無い」――。NITTOは、四輪駆動車で砂漠を駆け抜けるオフロードレースや、2台のクルマが比較的短い距離(4分の1マイル、約400メートルが多い)を盛大なエンジン音を轟かせ競うドラッグレースの愛好者に人気を博す。

アメリカの“走り屋”に人気のNITTOタイヤ<br />東洋ゴムの利益支える「復活劇」とアジア展開アメリカン・テイストとメイド・イン・ジャパンの品質をウリにしたNITTOはアジアでも受け入れられるか

 その特徴はなんと言ってもトレッド(タイヤ表面の溝)デザインだ。「恐竜の爪」や「炎」をイメージしたものなど個性的なデザインは「アート・オブ・タイヤ」とも評される。クルマに装着した際の派手な見た目はもちろん、砂漠を走って残るタイヤ跡を楽しむファンもいる。

 性能も高い評価を得ている。激しいレースに適した操縦性と耐久性がありながら、滑らかな乗り心地にも配慮してあり、2006年の米「コンシューマー・レポート」タイヤ・オールテレーン部門では1位を受賞している。

 そんなNITTOだが、今日の人気を得るまでには「どん底からの復活劇」があった。

 もともとNITTOを生産していた日東タイヤは1949年に創業、60年代に米国進出を果たすも、単独での生き残りは厳しいと判断。79年に東洋ゴムの傘下に入る。しかしその後も販売不振が続き、特に米国事業は年間売上600万ドルに対して在庫が800万ドル分も積み上がり、90年代はじめに倒産の危機に瀕した。

 そこでNITTO U.S.Aの水谷友重社長が目を付けたのが、カスタマイズカー愛好者だった。当時、西海岸の若者を中心に、ホンダ・シビックなどの日本車を改造してドラッグレースを行なうのが流行していたのだが、エンジン回りなど他のパーツに比べタイヤは適した商品が売られておらず、彼らはピックアップトラック用のタイヤを改造車に装着していた。

 水谷社長はすぐに流行りの大口径サイズでシビックに適したタイヤを開発し、彼らに売り込んだ。これがヒットし、NITTOは「ファンがレースにかける情熱を応援してくれるタイヤブランド」として支持されるようになった。

 カスタマイズカー愛好者は気に入ったタイヤがあれば積極的に付け替える。カーレースは日本ではあまり馴染みがないが、米では根強い人気があり、趣味として市民権を得ている。NITTOはニッチ市場ながらコアなファンを持つカーレース向けタイヤに特化することに方針転換した。

 その後、フォード・マスタングなどのマッスルカー(ハイパフォーマンスなアメリカ車)やフルサイズSUV、ピックアップトラック、スポーツカーに至るまでさまざまなクルマのカスタマイズ向けタイヤのラインナップを増やしている。

 他社に先駆けた新しいサイズ・デザインの開発を可能にするのは地道なマーケティング調査と、日本メーカーならではの技術力だ。レースやイベント会場では停めてある一台一台の車種とタイヤを調査しトレンドを把握。高精度なコンピューターシュミレーションで実車テストの回数を減らし開発の短期化を図っている。

 NITTOの成長はいまや東洋ゴムの成長にも大きく貢献している。NITTOの売上は直近の5年間で倍増し、今後は中国や東南アジアにも展開することで、タイヤ販売に占めるNITTOの割合を2010年度の9%から15年度には15%に引き上げるという。

 近年、新興国市場の成長、新興国メーカーの台頭により、タイヤ各社はブランド戦略を再構築している。廉価なエントリーブランドを配すなど価格帯に合わせてブランド・ポートフォリオを描くのが一般的だが、東洋ゴムではTOYOとNITTOの「2トップブランド」を掲げる。「価格ではなく、商品性の違いで幅広い顧客を掴む」(中倉健二社長)。

 世界的に小型車が増加するに伴いタイヤも小口径化し、1本あたりの利益は縮小傾向にある。そんななか、TOYOに比べ大口径で利益率が高いNITTOの拡販は東洋ゴムの収益拡大につながる。タイヤ事業の営業利益率は10年度の4.1%から15年度に7.7%を目指す。

 中国・北京から北へ進んだ山中や四川の砂漠では米国を真似したオフロードレース文化が広まりつつあるという。アメリカン・テイストとメイド・イン・ジャパンの品質をウリにしたNITTOがアジアでも受け入れられるか、目が離せない。

(「週刊ダイヤモンド」編集部 柳澤里佳)