イタリアで「原発の是非」を問う国民投票が行われ、成立条件の過半数を上回る投票率で成立した。投票の9割以上が原発反対である。国民投票成立の背景には、イタリアという国が、ローマ共和制や中世の自治都市、協同組合の歴史にみられるように、地域と生活を重視し、「大事な問題は自分たちで決める」という自治の伝統があった。だがそれだけではない要因も見逃せない。今回の国民投票では、ベルルスコーニ政権が原発再開の凍結を発表し、国民に棄権を呼びかけるなど成立を阻止しようとした。にもかかわらず成立したのは、福島原発事故の衝撃がいかに大きかったかを示すこととなった。

 福島原発事故の真の原因は、わが国が広島・長崎の被爆から正しい教訓を引き出さなかったことにある。核爆弾を投下された唯一の国日本は、放射能がいかに人間の生命を傷つけ苦難に満ちた生活を強いるのか、平和で豊かな生活を送るために核廃絶のメッセージを世界の人々に送るべきであった。なぜなら戦後米国は、被爆国日本の「原爆反対、核廃絶」の運動が、核による世界支配戦略に支障をきたすことを恐れていたからだ。それゆえ日本に「原子力の平和利用」という名目のもとに原発を受け入れさせることで、悲惨な原爆の記憶を消し去り投下の責任を曖昧にしようと画策した。つまり米国は、原爆の被害者である日本が原発を受け入れることで、「原爆反対、核廃絶」の魂の換骨奪胎を図ろうとしたのである。

 戦後日本の政治家、官僚、財界(電力)、学会、メディアなどのエリート層も、米国の核戦略を受け入れることで権力保持を図ろうとした。彼らは、「知らしむべからず依らしむべし」とのパターナリズムによって原発を推進した。そのため原発が戦後日本の政治のなかで選挙争点となることはなかった。今こそ、わが国も、「原発の是非」を十分な情報公開のもと、エネルギー政策のあり方を国民全体で議論し国民投票によって決すべきである。

 その点で、今から16年前の阪神・淡路大震災の経験が有益な示唆を与えるのではないか。阪神・淡路大震災は、孤独死を防ぐためのコミュニティや、ボランティア・NPOなど市民の自主的な取り組み、生活と住宅再建のための「個人補償」の必要性などさまざまな教訓を残した。だが忘れてはならないのは、「大事なことはみんなで決めよう」という民意にもとづく政治をめざした取り組みがあったことだ。