人口減少が本格化していく中で、企業が生き抜いていくためには、イノベーションが不可欠といわれる。一方で、環境問題や貧困問題など、現代の社会課題はいっそう複雑さを増しており、この解決においてもイノベーションは欠かせないものとされている。
 イノベーションを起こすには、固定観念や常識といったこれまでの型にはまらない発想を持つ人材が必要だが、企業も行政もNPO(民間非営利団体)も、そうした人材が偶発的に登場するのを待っているわけにはいかない。では、どうしたらそのような人材が育てられるだろうか。
 本連載第2回では、イノベーションを起こすには異分野の人間が集まることが必須であり、ハブとなるリーダーには、人々を集めるだけでなく巻き込む力が必要になるという事例を見てきた。最終回となる今回は、企業に所属する人間がソーシャル領域でどのように異分野の人々を巻き込む力を身に付け、元の職場に戻ったときにいかにイノベーションを起こす人材力として貢献し得るかを見ていきたい。

復興支援が
企業の人材育成に

 民間企業であれ、社会課題に取り組む組織であれ、そこに所属する人間同士の考え方は似ていく傾向があることは当然だ。組織全体として同じ課題、同じ目的を共有することを前提にすれば、そのことは事業運営に秩序と効率性という正の影響をもたらすが、同時に、型破りのイノベーションを阻む大きな要因ともなる。

 TOTOでは、2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた東北地域に、復興支援の一環として計5人の人材派遣を行った。

 数週間や数ヵ月の復興支援としては一般的なCSR(企業の社会的責任)の範囲内だが、この人材派遣は被災地で人材を必要とする行政や団体と、復興支援・人材育成に関心のある企業をつなぐ、人材マッチングのプロジェクト「WORK FOR 東北」(事業主体は日本財団)に応じて行われていたもので、2年に及ぶ長期派遣だった。

 1980年に温水洗浄便座「ウォシュレット」という画期的な商品を生み出したTOTOは、イノベーションの重要性を強く認識している企業である。同社は、「イノベーションは同質の人間が集まっていては起こせない。社内に多様性が必要だ」という考えの下、この長期人材派遣に臨んだ。社員には被災地の支援をすると同時に、まったく異なる世界で働く経験を通じて異分野の文化を身に付けて戻ってきてほしいと考えたのだ。

 異分野での経験が人を育てる、とはよくいわれる。国内の転勤でも海外赴任でも系列の別会社への出向でも、文化が違えば違うほど人は鍛えられる。ただ、ビジネス領域の人間がソーシャル領域まで越境するケースはそう多くない。そこには、ビジネス社会での文化で当然だったことがまったく通じない世界が待っている。

 復興の現場に入ってプロジェクトを動かすとなれば、役場の職員に対してはもちろん、時には市長らとも交渉しなくてはならないし、街の酒場の主人、子育て中の母親、漁師、学校の先生など、これまで仕事上付き合ってきた人たちとはまったく背景が異なる人々とコミュニケーションを取り、ただ仲良くなるだけでなく、プロジェクトの当事者になってもらえるように巻き込んでいかなくてはならない。極めて高度なコミュニケーション能力が要求される。

 当然ながらこのとき、所属元の会社で自分が顧客や上司、役員や同僚、同業他社と共に見ていた現場、使ってきた言語、共有してきた文化はほとんど通用しない。さらに言えば、民間企業における課題解決のドライバーである「お金」が、物差しとしても機能しないことがままある。

 しかしこうした場所で「多様な価値観を取り入れ、まとめ上げて、新たなものをつくり出す」作業こそ、イノベーションを生み出すのに欠かせない営みだ。そうした現場を経験させることでイノベーション環境を自社に醸成するという人材育成は、確かに理にかなっている。

 NEC(日本電気)から復興庁宮城復興局に出向し、2年後に帰任した山本啓一朗氏はこう語る。

「自社以外の組織文化を肌で学べたことで、『違い』を尊重して生かす姿勢が身につきました」(「WORK FOR 東北」サイトより)

 企業におけるダイバーシティの必要性が叫ばれ始めてしばらくたつが、多様なだけではイノベーションが起きるわけでも、組織が強くなるわけでもない。違いを認識し、尊重し、生かすことで、初めて多様性が実を結ぶ。ソーシャル領域で「違いを生かす」ことを学んだ社員はその後、企業にとって「多様性」の一要素となるだけでなく、多様性を利用してイノベーションを生み出す力となっていくだろう。

 また、派遣された社員は社会性や関係性という視点で自分と自社を見つめ直す機会を得て、自社の社会的価値はどこにあるかをじっくり考えるきっかけにもなる。高いコミュニケーション力に加え、プロジェクトマネジメントの力も培われるだろう。それらはこれから組織を率いていく若手リーダークラスの人材に対する、極めて有効な研修になる。