震災以後、僕(訳者)は東北にいる時間が増えた。復興に携わるためだ。
  そのなかで、日本の目指すべき社会像を改めて考えさせられることも多い。震災復興の問題、電力や原発の問題など問題は大小山積みのままだし、誰が意思決定すべきなか、どのような議論が尽くされるべきなのか、新しい社会をつくっていく担い手は誰なのか、すべてがまだ不明瞭な状態にある。制度疲労に加え、積み重なる債務によって疲弊する行政機関。そして、縮小する市場に見切りを着けざるを得ない企業。実際に復興に携わり、さまざまなプレイヤーの行動原理に触れるなか、新たなプレイヤーが台頭しなければ問題の根本的解決はありえないのだ、という思いを新たにしている。
  これだけの混乱にある日本にとって、参考になるのはタイの事例だと思う。タイではいち早く社会企業的な問題解決のあり方が模索されてきた。本稿では、タイの社会起業家の中心人物として活躍し、現首相(記事執筆時点)アピシットの参謀として活躍する起業家、スニット・シュレスタ(本連載の第3回でも登場した)の記事を翻訳し、新たな社会像を模索するタイの状況を見てみたい。
  震災後、新たな社会像を模索する日本にとって、この記事が示す隣人の先駆的な試みは貴重な学びの機会となるはずだ。

第3回「争乱のタイで見た、経済格差と可能性――「社会企業」という一筋の希望」を読む

クーデターの背景にある経済格差
富めるものだけが富み、貧しきものはさらに貧しくなるという悪循環

 タイ国内の学術研究グループによる調査によれば、国内経済の全資源の80%が、人口のたった20%によって所有されていると言われており、タイの証券取引所の時価総額における資産の大部分は、寡占的な事業を行っている50に満たない財閥によって所有されている。このダイナミズムによって、金持ちはより裕福になり、貧乏人はさらに貧しくなるといった悪循環はさらに加速され、また寡占的な政治的・経済的な階級制度は所得格差をますます悪化させ、政治家による格差の悪用を助長している。

 2010年のタイの「赤シャツ」(元首相タクシン派を支持する)による行進やデモは、タイにおいてこの数十年に行われた無数の抗議運動の中では、極めて独特のものだった[訳注1]。タイ全域の農村部から集まったこのデモの参加者の目的は、元タイ首相であるタクシン・チナワット――06年の軍事クーデターにより追放され、以後、タイの政治的対立は加速している――の帰還を求めてのことであり、タクシンの影響力を懸命に取り戻そうとするためであった。タクシン派が大量の動員を可能にした状況の背景にあるのは、根深い経済格差であり、その拡大傾向が深刻化していたからである。結果、福祉の格差、経済の格差、そして「貧困」から抜け出す機会の格差に結びついていたのだ。

[訳注1]この抗議運動は軍事衝突にまで発展したが、スニットは政治的な対立の帰結だったと強調した。