「行革の鬼」土光敏夫は食生活も徹底して合理的だったイラスト/びごーじょうじ

 日本を代表する電機メーカーの一つ、東芝。2009年から6年間にわたって続けられたという粉飾決算が報じられ、買収した子会社が抱えた巨額の損失などもあって、ここ数年、経営危機がささやかれている。

 東芝は今から数十年前、1960年代にも一度、経営危機に陥っている。そのとき、改革を主導し、見事再建に導いた経営者が土光敏夫である。土光は日本経済団体連合会の会長なども歴任し、日本経済の自由化と国際化を推し進めた。カリスマ経営者として尊敬を集めた土光はその後、鈴木善幸、中曽根康弘から請われて、政治の世界でも力を発揮し、「行革の鬼」と呼ばれた。

 土光にはもう一つ異名がある。〈メザシの土光さん〉だ。82年6月、NHKの番組で質素な生活が放映されたことから、その名が付いた。この放送は行革を進めるための演出という説もあるが、メザシが好きで質素な生活を送っていたのは本当らしい。

「みんながメザシといってバカにしているが、おいしいし栄養もある」

 庶民の魚であるメザシを土光は愛した。見かけよりも実利を選ぶのが彼の流儀だ。年寄りは若い人のように食べなくてもいい、と食事は一汁一菜が基本。野菜は自給自足でナスやキュウリ、トマト、ダイコンなどなんでも作り、特製の野菜ジュースを朝食に加えたり、野菜の煮付けやみそ汁にしたりして食べていた。また「ダイコンは葉っぱに栄養分がある」など、素材を安易に捨てることを戒めている。