前回のコラムでは、中国経済の主要モデルの1つである「温州モデル」と最近起きた企業経営者の連続夜逃げ事件を取り上げた。言い換えれば、温州モデルと温州企業が直面している今日の明暗に触れたのだ。

 読者からは驚きの声が届いた。マネーゲームに走ってしまった温州の選択を惜しむ声もあった。しかし正直なところ、温州の没落というショッキングな事実に対して私はまったく驚きを覚えていない。

 厳しい言い方をするなら、予想していたことがついに起きてしまったという心境だった。私のような一凡人に、温州がそんな事態に陥ることを予測できるといった超能力はない。だが、そうなるだろうと思われる兆候を何度かキャッチしていたため、その心配が厳然たる事実となって現れた時には、かえってその事実をすんなりと受け止めた。

 ただ、驚いたこともあった。温州の凋落にはまったくびっくりしなかったが、これは温州人に対して敬意を失ってしまったからだと自覚している。そんな自覚に我ながらある種の驚きを覚えた。私は決して冷血な人間ではない。その温州の凋落という厳しい事実を目の当たりにしても驚かなかったのは、温州人に対してある種の失望感が募っていたからだ、と改めて思い知ることができた。

 一例を挙げれば、温州はライターの主要産地だった。最盛期にはライターのメーカーが1000社以上あったが、今や100社前後しかなく、しかもそのうち、ライター製造に力を入れているのは30社ぐらいだと言われている。ほとんどの会社は儲けのいい不動産や鉱山開発に資金をつぎ込むよう経営方向を変えてしまったのだ。

 営利集団という性質をもつ企業としては、その時々の経済情勢や市場ニーズを見て、経営内容や企業の進むべき方向を大きく変えることもありうるし、理解できる企業行動ではある。しかし、温州企業のこうした行動からは、企業としての戦略というものがほとんど感じられない。金儲けを首位に企業のあり方を安易に考えて行動しているとしか見えないのは、温州の悲劇だ。金儲け至上主義に走った温州企業や温州人は、他の都市の住民からどんなにひんしゅくを買っても自分さえ儲ければよいとの判断で、多くの地方都市で不動産価格を人為的に釣り上げては、売り飛ばして暴利を貪った。人々からの批判に耳を貸さないばかりか、市場経済の優勝者としての驕りを誇示していた。ついこの間まで温州人が見せていた商売のうまさと仕事にかける熱意、苦労に耐えきるその精神力はいつの間にか大きく変質してしまった。