白寿まで生き抜いた野上弥生子、抹茶とお菓子が朝ご飯代わりイラスト/びごーじょうじ

 死の直前まで旺盛に仕事に打ち込んだ作家がいた。明治、大正、昭和を生き抜き、多くの作品を世に残した野上弥生子である。

 弥生子は1885(明治18)年に大分県で生まれた。1900年に上京し、明治女学校に入学し、高等科の頃に、その後夫となる野上豊一郎と出会う。卒業後、2人は結婚。漱石山房(さんぼう)に出入りする夫から山房での話を聞いた弥生子は小説を書き始め、ついに1907年、夏目漱石の紹介で「ホトトギス」に処女作『縁(えにし)』を発表する。それからの彼女は3人の子どもを育てながら、小説家として旺盛に作品を発表していく。戦前の作品として『海神丸』や『真知子』、戦後では『迷路』などがあるが、最も有名な小説といえば『秀吉と利休』が挙げられる。豊臣秀吉=権力者と千利休=芸術家の対立と矛盾、葛藤を描いたこの小説を発表した時、彼女は77歳になっていた。

 99歳で亡くなる直前まで仕事を続けた彼女の作品を形容するには知的という言葉が最も適切に思う。重層的な視点と格調高い文体は深い教養に裏付けられたもので、能などにも造詣が深かった。

 その仕事を支えた食生活はどんなものだったのだろうか。対談の中で彼女自身がこう語っている。