起業は「イチかバチかのギャンプル」と思われがちです。最新技術を追い求め、IT分野で財を成す……というイメージを持たれている方も多いのではないでしょか。しかし、3年で8つの事業を立ち上げた山口揚平氏によると、「起業には確立された方法論があり、丁寧に進めていく作業にすぎない」と断言します。どういうことでしょうか。

起業には「定石」がある

起業には「成功パターン」があった!<br />8つの事業を立ち上げて気づいたこと山口揚平(やまぐち・ようへい) 早稲田大学政治経済学部(小野梓奨学生)・東京大学大学院修士。1999年より大手外資系コンサルティング会社でM&Aに従事し、カネボウやダイエーなどの企業再生に携わったあと、独立・起業。企業の実態を可視化するサイト「シェアーズ」を運営し、証券会社や個人投資家に情報を提供する。2010年に同事業を売却したが、のちに再興。クリスピー・クリーム・ドーナツの日本参入、ECプラットフォームの立ち上げ(のちにDeNA社が買収)、宇宙開発事業、電気自動車(EV)事業の創業、投資および資金調達にかかわる。その他、Gift(ギフト:贈与)経済システムの創業・運営、劇団経営、世界遺産都市ホイアンでの8店舗創業(雑貨・レストラン)、海外ビジネス研修プログラム事業、日本漢方茶事業、医療メディア事業、アーティスト支援等、複数の事業、会社を運営するかたわら、執筆、講演活動を行っている。専門は貨幣論、情報化社会論。 NHK「ニッポンのジレンマ」論客として出演。テレビ東京「オープニングベル」、TBS「6時のニュース」、日経CNBC放送、財政再建に関する特命委員会 2020年以降の経済財政構想小委員会に出演。慶應義塾高校非常勤講師、横浜市立大学、福井県立大学などで講師をつとめた。 著書に、『なぜか日本人が知らなかった新しい株の本』(ランダムハウス講談社)『デューデリジェンスのプロが教える 企業分析力養成講座』(日本実業出版社) 『世界を変える会社の創り方』(ブルー・マーリン・パートナーズ)『そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか』(アスキー・メディアワークス)『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』(ダイヤモンド社)『10年後世界が壊れても君が生き残るために今身につけるべきこと』(SBクリエイティブ)などがある。

 2010年、リーマンショックの爪痕が残る東京の中心、六本木ヒルズの51階のヒルズクラブで私は一つの決断をした。シェアーズという企業分析のシステム事業を一部上場の証券会社に売却(M&A)することになったのだ。

 29歳で会社を創ってから5年、1つの挑戦が終わった。「事業を創り、売却をする」という一連のプロセスを体験することになった。初めての起業は大変だった。先が見えないなか、日々模索しながら事業とそれを支える組織を創っていく。大変なエネルギーを必要とした。事業売却のあと、全身の力が抜けて実家に帰り、しばしの休養と英国留学を経て、2012年に東京に戻ってきた。

 その年のとあるクリスマスパーティーで、私は「シリアル・アントレプレナー(連続起業家)」と呼ばれる人たちと出会った。15歳で会社を創り、売却をして18歳で2度目の起業をしている人、25歳で3社の創業をおこなった人。

 今でこそオンライン金融やロケットなどの事業を次々と立ち上げたイーロン・マスクなどをはじめ、メディアでもシリアル・アントレプレナーは有名になっているものの、当時は、起業は一生に一度、1つの会社を創って育てるというのが一般的な認識だった。だが彼らは複数の事業を創業し、成功していた。「そうか、会社は一生でいくつも創っていいのか……」。そう思うと、大きな開放感と未来を感じたのを覚えている。

 私はそれからの3年で8つの会社の創業に関わり、みずから出資も行った。事業の内容は、流行りのITスタートアップだけでなく、IoT、ロボティクス、宇宙開発、医療メディア、化粧品、それから劇団経営(法人化)、漢方茶と多岐に渡る。そして今でもアートや医療の分野で様々な事業創造を続けている。分野や業種を問わないのが特徴だ。その理由はおいおい述べていこう。

 起業には誤解が多い。たとえば、「まるで清水の舞台から飛び降りるような『イチかバチかの大勝負』である」というものや「才能のあるごく一部の選ばれし者のみがすること」というものなどだ。これらはすべて誤っている。事業の創造は、確立された方法論に則って丁寧にすすめていく一連の作業にすぎない

 そこには、体系的かつ再現可能な定石が存在している。定石に則れば誰でも自分で事業を創ることができると信じている。この連載では私が事業創造に携わる過程で学んだ、事業を創り上げるまでのプロセスをできるだけ具体的・実践的に書いた。