いま、「美術史」に注目が集まっている――。社会がグローバル化する中、世界のエリートたちが当然のように身につけている教養に、ようやく日本でも目が向き始めたのだ。10月5日に発売されたばかりの新刊『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』においても、グローバルに活躍する企業ユニ・チャーム株式会社の社長高原豪久氏が「美術史を知らずして、世界とは戦えない」とコメントを寄せている。そこで本書の著者・木村泰司氏に、知っておきたい「美術」に関する教養を紹介してもらう。今回は印象派が描いたバレリーナの背景にあった“悲しい現実”に迫る。

愛人探しの場だったバレエの舞台

 19世紀末にアメリカで人気となったのが印象派です。1890年代になると、アメリカ人の間で印象派の画家モネの人気が高まっていきます。「印象派=モネ」の構図の始まりです。アメリカ人がモネに夢中になることは、すなわち経済的な成功をモネにもたらす結果となりました。いつの時代もアメリカでの成功は、母国だけでの成功とは桁違いなスケールへと発展するのです。アメリカ人によって、モネの作品の値段は跳ね上がっていき、モネはアメリカで、印象派の中でも一番の人気を誇るようになりました。

印象派が描いたバレリーナたちの背景にあった“悲しい現実”とは?エドガー・ドガ「踊りの花形」1876~77年

 モネに次いで人気があったのがエドガー・ドガでした。とくにアメリカでは、ドガが描いた「バレエ」を主題にした作品に人気が集まりました。当時、文化コンプレックスの強かった多くのアメリカ人が、自宅にバレエを主題にした絵画を掛けることで、自分たちが文化的であることを誇示しやすかったからです。かつて第二帝政時代のフランスでも、新興ブルジョワジーが自宅に狩猟画を掛け、あたかも王侯貴族の趣味であった狩猟を長年の自分たちの趣味であるように見せましたが、それと同じ意図だといえます。

 しかし、アメリカ人の思い込みと違い、ドガの描いた当時のバレエの世界は上品な世界からはかけ離れたものでした。とくに第三共和制以降のフランスのバレエの質の低下は著しく、にわか成金男性がバレリーナを愛人にすべく「品定め」に来るような催しに成り果てていたのです。

 踊りの上手さは二の次で、美しさのほうが重視されていました。男たちもバレリーナを見るために来ていたのであり、バレエ自体は二の次だったのです。もちろん、バレリーナになったのは貧しい少女たちで、男たちに舞台で見初められて愛人として囲われたのでした。アメリカ人の思い込みに反し、ドガの描いた当時のバレエ界は娼婦の世界とたいして変わりがなかったのです。ドガの描いたバレリーナの背景には、こうした悲しい現実が隠されていたのでした。

 拙著『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』では、こうした美術の背景にある欧米の歴史、文化、価値観などについて、約2500年分の美術史を振り返りながら、わかりやすく解説しました。これらを知ることで、これまで以上に美術が楽しめることはもちろん、当時の欧米の歴史や価値観、文化など、グローバルスタンダードの教養も知ることができます。少しでも興味を持っていただいた場合は、ご覧いただけますと幸いです。