AIがあらゆる職場に浸透する日も遠くないかもしれません。そんな時代に、私たちに何よりも必要とされるのが「自分の頭で考える力」です。ベストセラー『地頭力を鍛える』で知られる細谷功氏が、主に若い世代に向けて「自分の頭で考える」とはどういうことかについて解説した著書『考える練習帳』。本連載では、同書のエッセンスをベースに、「自分の頭で考える」ことの大切さとそのポイントを、複眼の視点でわかりやすく解説していきます。(初出:2017年11月7日)

「無知の知」を知っていますか?――考える練習をしよう【書籍オンライン編集部セレクション】Photo: Adobe Stock

無知の知―考えるには「自分はバカだと思う」ことから

「考えること」のメリットがわかったところで、まずは「考えることに目覚める」ところから始めることにしましょう。実は、ここが一番ハードルの高いところかもしれません。

 なぜなら、考えることは純粋に自主的な行為であるために、「考えている人」と「考えていない人」との差は「そもそも考える姿勢をもっているかどうか?」=「目が開いているかどうか?」が大きいからです。そのために不可欠なキーワードが「無知の知」です。

 哲学の父とも呼ばれるソクラテスは「無知の知」という考え方を基本としました。文字通りの意味は「無知であることを知っていること」が重要であるということです。要するに「自分がいかにわかっていないかを自覚せよ」ということです。

 言い換えると「知らないこと」よりも「知らないことを知らないこと」の方が罪深いということです。「自分がいかにわかっていないかを自覚すること」……。これが物事を自分の頭で考えるための本当の第一歩です。

 これはいくら強調しても強調しすぎることはありません。

「自分がわかっていないことを自覚している人」は、安易に自分の正しさを主張せず、また相手の言い分も尊重します。

 また、未知のものへの好奇心も旺盛なはずで「過去の栄光」にすがらずに未来に向けて着実に前進し、必要に応じて変化していきます。新しいものをわけもわからずに信じない代わりに、初めから否定もしません。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という日本古来のことわざは、知の世界でも完全に当てはまるのです。「相手視点で考えるべし」とか「常に目的を意識すべし」とか「当たり前」のことを聞かされたときに「本当にわかっている人」ほど「そんなことわかっていますよ」などとは言わずに「本当にその通りですよね。なかなか実践できないんですよ」という反応をします。

 たとえば、何かを学習するときに、「基本が大事」という「当たり前中の当たり前」のことを聞いた場合でも、達人ほど「その通りだけどそれができないんだよなあ……」という反応をします。

 これに対して「中途半端にできる人」は、「そんなことよくわかってるんだけど、『その先にあるテクニック』を知りたいんだよなあ……」という話になるわけです。これなどは、まさに「無知の知」の実際の例といえるでしょう。日々、これを意識するだけでも大きな変化があるはずです。

「気づいたら」勝負はついたも同然

【会社の同僚AさんとBさんの会話】

A:「なんか最近『ダメ上司につける薬』っていう本が売れてるらしいね」

B:「そうそう。あれ読んでまさにうちのC課長に読ませたいって思ってたんだけどね……」

A:「けど?」

B:「この前C課長の方から、その話を始めてね。『最近、“ダメ上司につける薬”っていう本がバカ売れみたいじゃない。いるんだよね、どこの会社にもそういう困った人たちが。D部長にも読んでほしいよね』だって。目が点になっちゃったよ」

 前項で解説した「無知の知」とは、平易な大和言葉で表現すると「気づき」とほぼ同義と言えます。

 要するに「気づき」というのは問題への気づき、つまり何が悪いのか、何ができていないかへの気づきだということです。

 たとえば「論理的でない人」の最大の問題点は、自分が論理的でないことに気づいていないことです。仕事が非効率な人の問題点は、それが非効率であることに気づいていないことです。

「お役所仕事」をしている人の問題点は、ずっとその仕事をしているとそれが(意味もなく形式的で規則至上主義であるという点で)「お役所仕事である」ことすらわからなくなってしまっていることです。

「非効率な会議が多い」会社の最大の課題は「実は、それが非効率ではなく必要なものである」と思っている社員がほとんどであることが多いことです。

 よく「常識にとらわれるな」とか「既成概念を打ち破れ」という言葉が世の改革者から唱えられることがあります。当然、対象は(そのような改革者にとって)「常識にとらわれている(ように見える)人」であり「既成概念にとらわれている(ように見える)人」であるわけですが、この言葉、そのターゲットの人たちに響くことは、ほとんどないと言えます。

 なぜなら「常識や既成概念にとらわれている人」の最大、かつ根本的な要因は「とらわれていることに気づいていないこと」にあるからです。

「とらわれている」という状態は、それを外側から見ることでしか認識できません。だから、その状態がわかる=とらわれていない人だけなのです(図表参照)。

細谷功著『考える練習帳』より

メタの視点が持てるかどうか?

 上図で示すように「自分を外側から客観的に見る」のが無知の知を認識するための「メタの視点」です。まずは、この構図を理解することで、「とらわれている自分に気づいていない自分」を認識することが気づきの第一歩です。

 新しい改革や変化に抵抗を示す人は(改革側の視点で)「抵抗勢力」と呼ばれることがあります。改革側からすれば「世の中抵抗勢力ばかりだ」ということなのでしょうが、では「自分がその『抵抗勢力』だと思う人は手を上げてください」と言っても、恐らく手を上げる人は、ほとんどいないでしょう。これが「抵抗勢力」という言葉の示すところで、このような構図は他にもたくさんあります。

常に自責であること

 先ほどの冒頭の会話に戻りましょう。「ダメ上司のための本」は、決して「本当のダメ上司」は読みません。「自覚がない」ことが根本原因だからです。だから、本当に考えていない人は、この連載を決して読んだりしないでしょう。もしかして、皆さんは「自分が考えることが苦手だから」と思って本連載を読まれているのかもしれませんが、皮肉なことに、もうその時点で皆さんは考えることに関しては既に「上位の何割か」に入っています(したがって、もうひと踏ん張りすれば「かなりいい線」までいくことが見えているということです)。

 このことを解決するための一つの手段が「常に自責であること」、つまり、原因は常に自分にあると考えることなのです。

 気づきが得られないというのは、「原因が他者や環境にある」と考えることと密接につながっています。思考回路を起動するためのメカニズムを思考停止のメカニズムと比較して示すと、下図の通りです。

細谷功著『考える練習帳』より
細谷 功(ほそや・いさお)
ビジネスコンサルタント、著述家
1964年、神奈川県生まれ。東京大学工学部を卒業。東芝を経て、日本アーンスト&ヤングコンサルティング(株式会社クニエの前身)に入社。
2012年より同社コンサルティングフェローに。ビジネスコンサルティングのみならず、問題解決や思考に関する講演やセミナーを国内外の企業や各種団体、大学などに対して実施している。
著書に『地頭力を鍛える』『まんがでわかる 地頭力を鍛える』(以上、東洋経済新報社)、『「Why型思考法」が仕事を変える』(PHPビジネス新書)、『やわらかい頭の作り方』(筑摩書房)などがある。