生まれながらにして傑出した才能を持つ人を“Gifted”と呼ぶ。1980年代に輝く彗星のように時計界に現れ、「複雑時計の巨匠」の名をほしいままにしているギフテッド・ウオッチメイカー=フランク ミュラー氏を京都で直撃した。

写真=小林久井
天賦の才に恵まれし男、時計を熱く語る(左)フランク ミュラー氏。(右下)同氏が身に着けていたのは「トノウ カーベックス クロノグラフ」
(右上)新定番として人気を博している「ヴァンガード」
PROFILE
フランク ミュラー / FRANCK MULLER
1958年スイス、ラ ショー ド フォン生まれ。1975年ジュネーブ時計学校入学。首席で卒業し、オーダーメイドの複雑時計制作やアンティーク時計の修復などに携わる。1992年フランク ミュラー・ブランドを設立。

──ブランド創設25周年おめでとうございます。振り返って、一番良かったこと、嬉しかったことはなんでしょうか?
 自分のアイディアや閃きを活かし、多種多様で自分の子どものように愛しい時計を作っていけることです。そして今日のように、お客様と交流できること。

 1992年に世界で最初のオンリーブティックを東京に開き、コレクションを拡大していきました。自分の工房「ウォッチランド」は今年も6000㎡拡張しています。これほどの成功を当初は予想しませんでした。日本の方々には、いくら感謝してもしきれません。

──時計師になろうと考えたきっかけは?
 15歳の頃、ふと思い立ちました。もう子どもじゃない。目を覚まさなきゃ、なにかやらなきゃと。そこで時計学校に入ったら一番になってしまった。黒板をしっかり見て精神をとぎすませて講義を聞いた。あまたの閃きがあったし、時計作りなら頑張れると確信した。天職ですね。

── 独自の独自のケース・フォルム「トノウ カーベックス」の由来は?
 世界一のコレクターの方に、私の作品をお届けしたときのこと。奥様がちょっと挑発的におっしゃいました。

「他のどなたも作らない複雑時計を作っているのは認めるけれど、あなたの時計は円形で、パッと見てあなたの時計と分かる形になってない。あなたならではのケースで一本作ってみて」。

 チャレンジングな問題提起に応え、ミニッツリピーターと永久カレンダーを搭載したトノウ カーベックス・ケースの時計を作りました。複雑な曲線を持つケースに超複雑機構を2つ組み込むのはとても難しかったけれど、独立時計師が出品する見本市で大評判になり、その後の飛躍につながりました。