2014年「新・風土記」出雲大社奉納、2015年「天地の守護獣」大英博物館日本館永久展示、「遺跡の門番」クリスティーズに出品・落札。2016年「The Origin of Life」4ワールドトレードセンター常設展示…。競争が激しいアートの世界で、なぜ、いま小松美羽が評価を集めているのか?その理由を、話題の新刊『世界のなかで自分の役割を見つけること』の内容からお伝えしていく。

信頼を得られるならば何度でも「現場」に通う
信頼を得られるならば何度でも「現場」に通う小松美羽(こまつ・みわ)
現代アーティスト。1984年、長野県坂城町生まれ。銅版画やアクリル画、焼き物への絵付けなど幅広い制作スタイルから、死とそれを取り巻く神々、神獣、もののけを力強く表現している。2014年、出雲大社へ「新・風土記」を奉納。2015年、「天地の守護獣」の大英博物館日本館永久展示が決まる。2016年より「The Origin of Life」が4ワールドトレードセンターに常設展示される。2017年には、劇中画を手掛けた映画「花戦さ」が公開されたほか、SONY「Xperia」のテレビコマーシャルに出演。

信頼は「現地」で生まれる

 「こんなのつくれるか!」

 たぶん、有田の職人さんたちは短時間で狛犬の製作を依頼した私に最初は困惑していたと思う。チェルシーフラワーショーのために私が描いた一対の狛犬は平面のデザイン画だ。

これを磁器にするには、まず「型師」と呼ばれる職人さんにお願いする。型師は「原型師」とも呼ばれ、焼物のもとになる型を石膏で作成する。

 デザインを実際に立体にしてみて、量産できるものかどうかを判断するプロフェッショナルだ。私の狛犬は量産するわけではないが、まずは同じように、デザインを立体にしていただく必要があった。

 日本のほとんどの窯元で通常つくられるものはお皿や湯のみ、壺などだ。有田焼の素晴らしい型師さんであっても、美術品のような複雑なものを日常的につくっているわけではない。しかも期限が短かった。

 「フラワーショーに間に合わせるために、3ヵ月でつくってほしい、でも、『焼き』まで入れて3ヵ月だから、成型する時間は2ヵ月しかない」

 素人の私から見ても、無理難題だった。それでも超特急で成型してくださった。私は型の確認をするために日帰りで佐賀まで行き、型師さんにお礼を言いたいと思ったのだが、大将には会えなかった。

 「こんなに手がかかる、しかも相当に難しいものを、たった2ヵ月でやれなんて無茶な注文だ。会ったら怒鳴ってしまうから、会いたくない」

 型師の大将はそう言っていたのだと、代わりに応対してくださった息子さんが、話してくださった。私が行うのは絵付けだが、成型したらすぐにできるわけではない。磁器は時間がかかる。型師さんの他にも、多くの職人さんの手を借りることになる。窯元の職人さんたちは、型師さんがつくった原型をもとに、磁器をつくる。

 陶石を砕き、細かくした粉をこねあげ、成型したら、ゆっくりと乾かす。それを素焼きし、釉薬をかけて本焼きをする。それからようやく、絵付けをするのだ。

 これは珍しいやり方で、通常は素焼きをしたら絵付けをし、最後に本焼きのプロセスとなる。のちに大英博物館のニコルさんも「この狛犬は面白い手法ですね」と評価してくださったのだが、いずれの手法にせよ磁器というのは、銅版画のようにたくさんの工程が必要なのだった。

 銅版画と違うのは、そのプロセスは一人ではできず、チームの力であるという点だ。私は戸惑いながらも、日本の伝統の力が一つの和となって自分の作品ができあがることに、手応えを感じていた。

 「せっかくきてもらったけど、まだ絵付けはできないよ。それに絵付けだって何日もかかるよね。また佐賀にくるのも大変だろうから、電気窯を買ったらどう? 絵付けの絵の具をこっちから送れば、東京でも絵付けはできますよ」

 窯元の職人さんが心配してくれた。確かに私は忙しかった。活動の幅が広がるとともに注目してくださる方が増え、サントミューゼ上田市立美術館での個展の来場者数は1万人にのぼった。個展をするには作品がなければ始まらず、また、国内外のコレクターから「絵が欲しい」という問い合わせがひっきりなしにくるようになっていた。

 お世話になっていた彩鳳堂画廊での個展「えほん 誰も教えてくれなかった!」では、作品がすぐに完売してしまうという、ありえない状況だったのだ。しかし、東京で絵付けして電気窯で焼くなんて、もっとありえなかった。

 出雲大社に奉納する「新・風土記」を出雲に1ヵ月住んで描かせていただいたように、私は作品に関わる人が、風土が、文化が、どういうものかを感じたい。ただ絵を描くのではない。そこにどんな祈りがあるかを受け取り、作品として描き出すことが私の役割だ。

 河口湖ミューズ館で個展の依頼があったときも、すぐに河口湖に行き、町役場の人たちとお話をした。地元にまつわる河童伝説を聞き、富士レークホテルの若女将井出薫子さんから古い河口湖民話を教えてもらい、そうやって初めて、絵を描くことができるのだ。

 これは私の基本みたいなもので、何か知りたいとなったら、必ずその場所に行く。たとえば「イスラムの人たちの祈りのパワーがすごい」と思ったら、それを体感するために妹とトルコに行ったりした。

 東と西の文化が交わるトルコで、宗教と文化が混ざり合った歴史を感じた。さらにアブダビやドバイに行き、祈ったり、断食したり、働いたり、遊んだりしている今の人々の生活を間近で感じた。

 そうすると知識だけだったイスラム教の文化が少しわかった気がしたし、何よりその文化や祈りを、「この人たちの大切なもの」として尊敬できるようになった。

 大国主命でも、河童伝説でも、イスラム教でも、相手が大切にしている時間を大切にし、波長を合わせていくことが、見えない世界をみんなに見てもらう、祈りのような作品づくりにきっとつながる。

 だから、有田焼は有田でつくらないと有田焼じゃないのだし、緊張感も違う。窯元のみなさんが一生懸命に仕事している中で絵付けしたのと、東京で絵付けしたのでは、まるで異なる狛犬になってしまうと考えていた。