世界金融危機から3年――アイスランドの人々は、国の実質的財政破綻で社会の「断絶」を経験した。彼らはいま何を思い、未来といかに対峙しているのか。現地へ飛び、シングルマザーから起業家まで、様々な人々と出会い対話した中には、震災という「断絶」に立ち向かう日本への示唆が含まれていた。

 成田空港からのフライト所要時間15時間。アジア、ロシア、北欧を飛び越え、北大西洋の上空を2時間半ほど行ったところに、アイスランドはある。

 アイスランドは、地図上ではそれなりの存在感がある。だが実際は、最北にあるがために伸びて見えるだけだ。その面積は、およそ10万平方キロメートル。北海道と四国を合わせたほどの大きさしかない。人口も32万人と、東京・中野区ほどの小さな国である。

いまアイスランドに学ぶべき理由は何か?教会から見下ろした街の中心部

 ケフラヴィーク空港に着いてまず目を奪われるのは、その美しさだ。深く青い海と、苔の生した果てしなくなだらかな大地。そして東へ足を伸ばせば、多くの観光客を魅了してやまないゲイシール(間欠泉)や、夏も溶けることのない雄大な氷河が待っている。

 2012年1月。私は、縁もゆかりもないこの土地に降り立った。

 残念ながらその目的は、観光ではなく仕事である。

多様な人々を理解するための
エスノグラフィーというアプローチ

 エスノグラフィーという言葉をご存知だろうか。

 日本語では「民族誌」と訳されることが多い。もともとは文化人類学に始まった、多様な地域や文化背景を持つ人々を理解する手法である。

 しかし今日では、新製品開発や経営戦略策定など、ビジネスの場で応用されている。IT分野でイノベーションを次々と生み出してきた米国パロアルト研究所(ゼロックスが1970年に開設。通称PARC)が、初めて文化人類学者を登用し、ユーザーについて理解を深めようと歩み始めてから、既に30年以上が経過している。

 文化人類学を専攻していない自分が言うのは口幅ったいが、産業界において私は「エスノグラフィック・リサーチャー」と呼ばれる。人はそれぞれプロとして、象徴的な場所に身を置くことに憧れを持つが、残念ながら私の仕事にそうしたシンボリックな場所は存在しない。リサーチャーなのに、白衣やビーカー、たくさんのボタンがついた実験機具もなければ、書籍や論文の溢れ帰った書棚に囲まれた研究室もない。この仕事の中核を成す場所があるとすれば、それはあくまでも生活者、人々が日常を送るフィールド(現場)である。