病床の削減、医師不足、医療費の高騰など、医療や医療費に関する報道が後を絶たない。
そうしたなかで、かつて財政破綻後の夕張に医師として赴任していた森田医師が、夕張および全国のデータ、さらに医療経済学的知見から見えてきたのは、医療経済の拡大が必ずしも健康と比例しない現実であった。最近、『医療経済の嘘』(ポプラ社)も上梓した森田医師が提唱する医療と経済のあるべき関係とは?

「病院がなくても住民の健康は変わらない!?」<br />医療と医療費の不都合な真実とは

なぜ私は医者という職業に大きく失望したのか

私は、医者という職業に大きく失望し、職を辞そうとまで考えたことが2回あります。

1回目は、療養病院で意識なく延命されている患者さんたちが病棟を埋めている現実を見たときでした。医療という高度で崇高な技術が、本当に人間のために使われているのか疑われるような光景がそこには広がっていました。

それまでの私は、自分の医療知識を深め医療技術を磨くことこそが「善」だと思っていました。そうすることが患者さんのためになることだ、国民の幸福に貢献することなのだ、とまったく疑っていませんでした。

しかし、療養病院の大部屋で、ただただ白い天井を見つめたまま寝たきりの高齢者がずらっと並んで胃ろうから栄養を入れられている光景を見たとき、それまで自分が磨いてきた胃ろう造設術などの医療技術や医学的知識が「善」に思えなくなってしまったのです。

税金を使って国立大学に通わせていただいたのにもかかわらず、自分のやっている医療が国民のみなさまの幸福に寄与していると思えなくなってしまった。これは本当に辛かったです。

当時、「医療崩壊後」の夕張市で、「住民に近い地域医療」を実践されていた村上智彦先生に頼み込んで夕張市立診療所に勤務したのは、そうした「自分への負い目」もあってのことでした。

夕張では、理想の医療に出合えました。

ベッドが空いているからと言って入院を勧めるわけでもない、老衰としか言えないのならしっかりとその老化の過程に寄り添う、逆に本当にMRIが必要ならしっかりと都市部の病院に紹介する。

医療機関の経営に振り回されることなく、一人ひとりに患者さんに対して「過剰でもなく不足でもない最善の医療」を提供する医療環境が整っていました。

病院が開院しても閉鎖しても、
人々の健康状態はよくも悪くもならない!?

そんな幸せな時間を過ごしていたとき、僕は2回目の衝撃に出会います。

夕張で勤務しながら東大大学院の研究班(H-PAC)で夕張の医療崩壊前後のデータを集め分析していたときです。

分析を進めているうちに、医療崩壊を境に夕張市の高齢者医療費が低下していることがわかりました。しかも夕張市民の死亡率は横ばいで健康被害も出ていませんでした。

私は興奮しました。医療技術の進歩や高齢化の進展に伴い、世界各国で医療費の上昇に歯止めが利かないと言われるなか、夕張市民の「高齢者1人あたりの診療費」は減少したのですから。「これはすごいことだ!」と思ったのです。

ところが私はここで衝撃的な一言を聞くことになります。この夕張の医療費減少について識者に意見を求めたところ、次のようなグラフを提示され、「病床が減れば医療費が減るのは当たり前だ」と言われたのです。

「病院がなくても住民の健康は変わらない!?」<br />医療と医療費の不都合な真実とは

医療経済学の世界ではこの疑問はすでに研究しつくされていて、一定の結論がでているとのこと。その結論とはだいたいこんな感じです。

「多くの研究の結果、『病院の存在や非存在』と『住民の死亡率』のあいだに因果関係はないことが分かっている。病院が開院しても閉鎖しても、人々の健康状態はよくも悪くもならない可能性が高い」

まさに夕張の実例そのものだと驚きました。

また、先ほどのグラフは、事実として日本の医療の現場では事実として都道府県によって人口あたりの病床数が2~3倍も差があるし、同時に病床が多い県は少ない県と比べて県民1人あたりの入院医療費を2倍も使っている、ということを教えてくれます。

これを提示され、「病床が減ったら医療費が下がるのは、当たり前じゃないか」と言われたのです。

それまでの私は、純粋に「病人がいるから医療がある」と信じていました。しかしこのグラフを見れば、「病床がある分だけ病人が作られる」という、ある意味極論に達してしまいます。

高知県民は滋賀県民より2倍も病気になるのでしょうか。そんなはずはありません。でも事実として、高知県民は滋賀県民より県民1人あたり入院費を約2倍使っています。そして結論として、医療費は病床数に比例しているのです(ちなみに、平均寿命には比例していません)。

調べてみれば、日本の病床数は世界一。日本で最も人口あたりの病床が少ない神奈川県でさえ、アメリカ・イギリスの2倍の病床を持っていて、またCTもMRIも世界一持っていて、さらに外来受診数も欧米先進諸国の約2倍で世界第2位。

「医師不足? それって需要過多なだけなんじゃない?」

そのとき、「医師誘発需要」「医療市場の失敗」という言葉を初めて知りました。

日本の医療は一体何のためにあるのか。私は自分が医師であることが恥ずかしなってしまいました。そして医師をやめたくなりました。

夕張で学んだ「医療への希望」

でも私は決して日本の医療を悲観しているわけではありません。

なぜなら、夕張をはじめとした「医療資源の乏しい離島・僻地」でも、住民同士が支え合いながら元気に生活していることを知ることができたからです。

そして、そうした住民の近くで、「高度な病院医療」とは別に「生活を支える医療」を提供することの重要性を知ることができたからです。

私は、夕張で医療費が減った要因は「病床が減ったから」にもまして「住民の近くで生活を支える医療が整備されたから」というのが大きいと思っています。

夕張では病床が激減した代わりに、村上智彦先生・永森克志先生のご尽力によって「生活を支える医療・介護」が整備されたのです。だからこそ、本人・ご家族の意志を尊重した「延命処置や社会的弱者の収容ありきではない」、本当の笑顔を生み出せる医療が実現できたのだと思います。

そういう意味では、「住民の近くで生活を支える医療」は今後訪れる高齢化社会にとっての救世主になりうる存在だと思います。

今、日本では「在宅医療」をはじめ、住民の生活に近い医療が各地で模索されています。国が提唱する地域包括ケアシステムはそのメインストリームですし、それは欧州をはじめとした世界的潮流でもある「家庭医療」への流れでの一環でもあります。

その中で我々医療者は何ができるのか、そして国民の皆さんがこれをどう考えてゆくべきなのか、そんなことをこの連載で皆さんと一緒に考えられたらと思っています。

森田 洋之(もりた・ひろゆき)
医師、南日本ヘルスリサーチラボ代表
1971年横浜生まれ、一橋大学経済学部卒業後、宮崎医科大学医学部入学。宮崎県内で研修を修了し、2009年より北海道夕張市立診療所に勤務。同診療所所長を経て、現在は鹿児島県で研究・執筆・診療を中心に活動している。11年、東京大学大学院H-PAC千葉・夕張グループにて夕張市の医療環境変化について研究。14年、TEDxKagoshimaに出演、「医療崩壊のすすめ」で話題を集める。16年、著書『破綻からの奇蹟~いま夕張市民から学ぶこと~』にて、日本医学ジャーナリスト協会優秀賞を受賞する。これまでに、厚生労働省・財務省・東京大学・京都大学・九州大学、その他各種学会など講演多数。また、NHK・日本経済新聞・産経新聞・西日本新聞・南日本新聞・日経ビジネスなど取材多数。