約500年もの歴史をもつ和菓子の老舗「虎屋」は、伝統を重んじつつ、トラヤカフェの開店や、やわらか羊羹「ゆるるか」の開発など新たな挑戦にも次々挑んでいます。本対談では、同社の黒川光博社長をお迎えし、日本で初めて世界最高峰のワインコンクール「デキャンタ・ワイン・ワールド・アワード」で金賞を受賞したグレイスワインこと中央葡萄酒の取締役栽培醸造責任者である三澤彩奈さんが尊敬し共感する「虎屋」の企業姿勢について伺っていきます。特にこの後編では、「変えないこと」へのこだわりや、後味の大切さ、価値に対する適正な価格に議論が展開していきます。

クラシックでオーセンティックな味わいに
筋の通った「ものづくり」へのこだわり

三澤彩奈さん(以下、三澤) お菓子のなかには500年を経たロングセラーもあると思いますが、新しいデザインや新製品のヒントというのはどのように生まれてきているのでしょうか。

虎屋の「熱狂的ファンもいるし、みなに好かれる」という稀有なブランド力の源とは? <黒川光博・虎屋社長×三澤彩奈・中央葡萄酒取締役 対談後編><br />黒川光博(くろかわ・みつひろ)
株式会社虎屋代表取締役社長
学習院大学法学部卒、富士銀行(現みずほ銀行)を経て、1991年より現任。全国和菓子協会名誉会長、一般社団法人日本専門店協会顧問。趣味は読書、映画鑑賞、テニス、ゴルフ等。著書に『虎屋 和菓子と歩んだ五百年』(新潮新書)、『老舗の流儀 虎屋とエルメス』(新潮社)。(写真:疋田千里)

黒川光博さん(以下、黒川) 新商品開発を専門とする部署も設けていますが、それ以外に、1年に一度、OBも含めた社員から新商品のアイデアを公募する機会もあるんです。次の年の干支にちなんだ菓子と、宮中の歌会始のお題にちなんだ菓子については、昭和の初めのころからアイデアを社内公募しています。多いときは1000~2000ものアイデアが集まって、審査して選びます。たとえば、来年の歌会始のお題は「光」ですが、ときどき「紙」とか「語」とか難しいものもあって、そういう年は応募が少なくなります(笑)。
 わたし自身も、洋菓子を食べている時すら「これ和菓子で作れるかな」「この材料は使えないかな」などと和菓子への思いがいつも浮かんできて、次の日に会社で「こんなのどうだ」と社員に伝えたりしています。相手にされないこともあれば(笑)、一生懸命考えてくれることもあります。

虎屋の「熱狂的ファンもいるし、みなに好かれる」という稀有なブランド力の源とは? <黒川光博・虎屋社長×三澤彩奈・中央葡萄酒取締役 対談後編><br />江戸時代のレシピを夏向きに葛でアレンジされた「水仙妹が袖(すいせんいもがそで)」

 あとは、我々の知恵だけで追いつかないところもあるので、トラヤカフェのメニューのように、料理研究家の長尾智子さんなど専門家にも監修として手伝ってもらっています。

三澤 昔のレシピも沢山おありだと思うのですが、そういうものからのリバイバルもあるのでしょうか。

黒川 たとえば今召し上がっていただいているのは「水仙妹が袖(すいせんいもがそで)」という名なのですが、江戸時代の1830(文政13)年の記録に残る、きんとん製の「妹が袖」を、夏向きに葛で作ったものです。和菓子は季節感を大事にしますから、夏であれば涼しげな見た目や名前の響きのもの、秋になれば栗やブドウの味わいや形を活かしたものを作っています。

虎屋の「熱狂的ファンもいるし、みなに好かれる」という稀有なブランド力の源とは? <黒川光博・虎屋社長×三澤彩奈・中央葡萄酒取締役 対談後編><br />三澤彩奈(みさわ・あやな)
中央葡萄酒株式会社取締役栽培醸造責任者
マレーシアのワインイベントを手伝った際、自社ワインを愛飲してくれていた外国人夫婦に感激し、ワイン造りの道へ。ボルドー大学卒業後は家業に戻り、シーズンオフには南アフリカ・オーストラリア・チリ等へ武者修行に出て新たな知見を吸収、ブドウ栽培や醸造を父・茂計とともに見直してきた。スパークリングワインやロゼワインなど新たな仕込みにも挑戦し、DWWAでは2014年以来、5年連続金賞を受賞するなか、2016年は欧州勢が上位を占めるスパークリング部門でも最高賞を受賞した。

三澤 クラシックさは大事にしつつ、季節感を取り入れるというのは素敵ですね。私自身もあまりに奇抜だったり、そのときの流行りみたいなワインが苦手なんです。私もワインの造り手としては若手なので、周囲から「もっとこんな新しいスタイルのものを造ってみたら」と言われることも多いんですが、その時々の流行りにのる気にはなれないんです。

 私のなかに好きな味わいとしてクラシックでオーセンティックなスタイルという確固たるものがあって、たとえ面白味がないと言われても、そこがブレたらいけないと思っています。逆に、あまりに造りこみがなさすぎて、悪い意味でナチュラルすぎるものは、プロフェッショナルじゃないし誰にでも造れる味だと思うので、目指してはいません。だから、そのちょうどいい塩梅というか、ツボが私の中にあるんです。勝手な外からの見方で言えば、虎屋さんのお菓子も、そのツボに入っていまして、オーセンティックでクラシックで、奇抜さや面白さではない、「おいしさ」へのこだわりという筋が一本通っていて、そこにすごく自分は惹かれています。

おいしさのひとつの要素は
「後味」の良さにある

黒川 なんでも「新しくしなければいけない」ということはないと思うんです。「変えなくてはいけない」という思いはもっていますが、全部変えればいいというものでもない、と私は思います。若い時分はきっと「新しくしなければ」という気持ちも多少はあったと思いますが、今ここに至ってみると「そう慌てるな」と構えられるようになった。結局「おいしい」という基準は、作り手が「いい」「おいしい」と思うものでしかなく、それをどううまく伝えることができるかということではないかと思っています。
 社長になったころから、虎屋の菓子を言葉でどう表現できるのか考えていて、「少し甘く、少し硬く、後味よく」としました。世の中の潮流はどちらかと言えば、柔らか目で甘さ控え目が好まれているかもしれないですが、「虎屋の菓子はこうだ」という指針です。

三澤 「少し甘く、少し硬く、後味よく」というのは、わかりやすいし、まさに虎屋さんのお菓子を表現されていますよね。

虎屋の「熱狂的ファンもいるし、みなに好かれる」という稀有なブランド力の源とは? <黒川光博・虎屋社長×三澤彩奈・中央葡萄酒取締役 対談後編><br />「後味が大切」という黒川社長

黒川 (前編の)「おいしさ」の話で申し上げなかったですが、「おいしさ」のひとつに、後味が大切だと思っています。少し傷んだものを食べると、いつまでも後味が悪くて何か喉に嫌な感じが残るような感覚があります。悪いものを食べたときだけではなく、この後味の悪さというのが残ると、「おいしい」とは思わないはずです。「少し硬く」とか「少し甘く」というのは、世の中の変化に応じて多少は変わるかもしれませんが、「後味よく」という点はかなり基本的な部分であり「変えないでくれよ」と社内にも言っています。

三澤 ワインも余韻がすごく大事なので、すごく分かります。
 あと、虎屋さんがすごいと感じるのは、「虎屋じゃなきゃ嫌だ」という熱狂的なファンもいるのに、誰もが好き、というのが両立しているブランド力です。ワインの場合、「このワイン大嫌い」というアンチ派がいるワイナリーのほうが、熱狂的なファンが存在する一方、アンチがいないワイナリーは熱狂的なファンもいないということが多い気がします。どうすれば、その両方が成り立つのでしょうか。

黒川 お褒めいただき、ありがとうございます。どうしてですかね。それは現在のわれわれへの評価ではなく、長い歴史に対して、みなさんが納得してくださっている部分かもしれません。
 ではなぜ、これだけ長く続けられるかというと、真面目に仕事をするということも一つではないかと思います。「真面目」というのを、「公正」「公平」と言い換えてもいい。そういう基本的な姿勢を大切にすべきではないかと思います。その姿勢がお客様に見えて、「やっぱり、あそこの商品を買おう」と思ってくださることにつながるのではないでしょうか。

三澤 「公平」という言葉はすごくいいですね。

「おいしいのだから、高くてもいい」
という覚悟をもつ

三澤 長く受け継がれてきた秘訣について伺いたいのですが、黒川社長の場合は、16代当主のご長男としてお生まれになって、代々の当主の帝王学というか教えを受けたりということはあったのでしょうか。
 私たちのワイナリーは虎屋さんほど長い歴史はなく、5代目に当たる私はいよいよ初めて女性オーナーになる予定です。また、祖父も父も家業に入る前に、それぞれ銀行と商社で働いた経験があるのに対して、私は技術者出身でビジネス経験なく経営に携わるという点にもプレッシャーを感じています。今日は、家業として長く引き継げるコツみたいなものも伺えたら嬉しいです。

黒川 虎屋の場合、特に代々の教えみたいなものはありません。私は三人兄妹のたまたま長男で、別に決まりはなかったけれど、なんとなく自分が継ぐんだろうなあとはどこかで思っていました。
 継ぐことをきちんと自覚したのは、大学を卒業するころに父から「会社に入るまでは、しばらく好きにしなさい」と言われた時かもしれません。じゃあ何をやろうと思ったときに、銀行なら何でも学べる気がして入行したんです。
 歳を経るにしたがって、物事の本質とは何なのか、菓子の世界にとどまらず人の生き方などについて、人との出会いや本を読んだりするなかで考えてきたのかもしれません。
 私からお伝えできるほどのものはありませんけれど、他者との比較などに惑わされずに、ご自身の信念に基づいて「おいしいんだから、高くてもいい」という覚悟のものを作られていくというのが大切ではないでしょうか。

虎屋の「熱狂的ファンもいるし、みなに好かれる」という稀有なブランド力の源とは? <黒川光博・虎屋社長×三澤彩奈・中央葡萄酒取締役 対談後編><br />「ワインを愛してくださる方たちと深いところでつながっていられるワイナリーでいたい」という三澤さん

三澤 そうですね。EU(欧州連合)とのEPA(経済連携協定)が批准されれば、フランスやイタリア、スペインなどのワインがかなり安く日本の市場に入ってくるので、厳しい戦いにはなると思うのですが、ものづくりをする立場からいえば、やはり大量生産型の価格競争を強いられるワイナリーにはなりたくない。ご提供できるワインを愛してくださる方たちと深いところでつながっていられるワイナリーでいたいという気持ちは強いです。

黒川 それで納得してくださるファンの方はいらっしゃると思います。価値に対して適正な値段というのはあるはずです。安くしすぎれば、製造側の生活を犠牲にすることにもなる。この点は自分たちの反省も含めて言うと、もっと堂々と自信をもって、「この価値のものは、この価格でしかお売りできません」ということを言っていく必要はあると考えています。

三澤 私たちも価値あるものを適正な価格でお届けできるワイナリーでありたいと思っています。日本のワインは長らく評価が低かったので、どうしたらその価値を上げていけるのかというのは常々考えています。たとえば、フランスで勉強していたとき、ボルドーのサンテミリオンの畑は、1ヘクタール当たり5億円以上の価値があると聞きましたが、これほど高くてもよりよいワインを造っていれば、さらに価値が上がるそうです。でも、山梨ではまだまだそうはいきません。道半ばですが、頑張って参ります。

黒川 お互い頑張りましょう。

三澤 今日はお時間をいただいてありがとうございました。

黒川 こちらこそ、有難うございました。