超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!

ファンドを解散し<br />自己資金だけで運用を行う<br />謎の天才投資家は、<br />我々凡人とは住む世界がまるで異なる

第3章 傲慢な投資家(3)

前回まで]謎の投資家・城隆一郎と冴えない中年・兵頭圭吾を調べ始めた有馬浩介は、兵頭が20年前に倒産した一流企業のエリート社員だった過去を探り当てる。一方、先輩記者・三浦明夫がもたらした情報により、城の悲惨な幼少期と叩き上げのビジネスキャリアが判明する。城と兵頭の関係が今はなきあの会社から始まったことを確信した有馬だが──。

 ひょうどうけいご、と復唱し、三浦は首をかしげる。

「都内で学習塾を経営してるんですけど」

 反応なし。

「城隆一郎の関係者でこの名前、聞いたことありませんか」

 さあ、と三浦は怪訝そうに目をすがめ、問い返してくる。

「富裕層の投資家かなんかか? 手広く学習塾チェーンを経営して、脱税した莫大なカネを城に預けて運用する資産家、とか」

 いや、板橋区大山の吹けば飛ぶような個人経営塾で──とほんとうのことを言えばさらに困惑するだろう。

「おれの勘違いでした。忘れてください」

 わけわかんねえな、とぶちぶち言いながらも、三浦はノートに目を落とす。

「山三証券に見切りをつけ、さっさとアメリカに渡った城は『ゴールドリバー』で最先端の投資術を学び、世界の金融界に人脈を築いたって話だ。2008年のリーマンショック後、帰国。ファンドを立ち上げ、客の資産を預かって投資していたようだが、4年前ファンドを解散している」

「ファンドってなんです?」

 三浦がぽかんと見つめてくる。いらっとした。

「だから、ファンドってのをわかりやすく説明してください。おれはド素人、初心者なもんで」

「生粋の社会部だもんな」

 三浦は呆れながらも説明してくれた。ファンドとはつまり、投資家や富裕層からカネを集め、株式、債券、不動産等に投資し、得られた利益を出資者にリターンする仕組みだと。

「城はファンド解散後、自分の資産だけで投資を行っていることになる」

 すっげえ、と思わず声が出そうになった。富子は数百億の資金を動かしていると言った。つまり、個人資産が数百億──。

「生粋の個人投資家だから、顧客向けの投資レポート執筆も、新たな顧客を集める宣伝も、フェイスブック等による情報発信も、講演も懇親会も必要ない。つまり、城隆一郎に関する情報は世の中にまったく出てこないってことだ」

「なぜファンドを解散したんですか」

 三浦は肩をすくめ、「変人の天才だからだろ」と放り投げるように言う。

「ファンドで預かった投資金を動かし、莫大な資産を築いたと仮定してみろ。個人投資で回す潤沢な元金と投資術に絶対的な自信があれば他人のカネを預かるファンドはいらないだろう。第一、偉そうでわがままな金持ちの顧客連中に気をつかう必要がない。つまり、だ」

 湧き上がる羨望を鎮めるように、経済部デスクはひと呼吸おく。

「欲深の顧客から“もっと儲けろ、最大限のリターンを出せ”、と発破をかけられることも、投資の失敗を責められることもない。ひと握りの天才だけに許された理想的な投資家生活だよな」

 指をなめ、つまらなそうにノートのページをめくる。

「謎のヴェールをまといたければ外部との接触を極力避ければいい。実際、ファンド解散後の城隆一郎の情報は皆無だ」

 ふう、とため息をひとつ。

「実社会で四方八方に愛想笑いを振りまき、理不尽な仕事と人間関係に悩み、アルコールと激務でボロボロの肝臓をなだめ、重いストレスを抱え込んでじたばたあがくおれたち凡人とは住む世界が違うんだな。やってられんよ」

 じたばたあがく凡人、か。有馬はペンを走らせながら、ここ2日間で調べ上げた兵頭圭吾のいびつな半生を思う。

 現在46歳。東京大学経済学部を優秀な成績で卒業後、山三証券に入社。ピカピカの幹部候補生として本社法人営業部門に配属。堅実な仕事ぶりが評価され、社長秘書に抜擢されるが、入社から4年後、山三証券は自主廃業。社員はもちろん、役員までわれ先にと再就職を決めるなか、生真面目な元幹部候補生は会社に残り、山積する清算業務に従事。結局、1年間、ほぼ無給で働いたという。

 清算業務に区切りをつけた兵頭は中規模証券会社に再就職。27歳のときだ。その2年後、29歳で辞め、大手予備校の講師に転身。33歳で独立し、大山で学習塾『黎明舎』を立ち上げ、現在に至る。妻、雪乃は高校時代の同級生で区立中学の教師。兵頭が証券業界から足を洗った年に結婚。子供はいない。尊敬する人物はウォーレン・バフェット──。

 有馬は己の調査と三浦のレクチャーからひとつの解答を導き出す。叩き上げの城隆一郎とエリートの兵頭圭吾。両極端のふたりの接点は山三証券にあり、と。

「助かりました」

 有馬は最後、三浦が経済部デスクの意地をかけて割ってきた城隆一郎の連絡先を記し、取材手帳をしまう。

「恩に着ます」

「こんなもんでいいのか?」

 三浦はショルダーバッグを肩に回しながら問う。もちろん、と有馬は大きくうなずく。

「さすがは現役の経済部デスクですね。おれなんかひとりでやってると──」

 言葉を呑み込む。三浦の様子が変だ。目を伏せ、沈痛な面持ちになる。そげたほおが動く。

「おれはおまえのこと、買ってたんだがな」

 なんと返していいのかわからない。三浦は切々と語る。

「クソ度胸と機動力、取材力は抜群だ。同期でぶっちぎりのナンバーワンだ」

 そんな。褒めてもなんにも出ませんよ、と軽口のひとつも叩きたくなる。が、まだ先があった。

「文章力はそうでもないが」

 がくっと肩が落ちてしまう。密かなコンプレックス。黙って耳をかたむける。

「新聞記者としてこれからが勝負なのに、あっさり辞めやがって」

 潤んだ目を向けてくる。泣いてる? 煮ても焼いても食えない偏屈デスクが?

「有馬、時代が悪かったのかな」

 まあ、と頭をかく。

「納得できないこともありまして。右顧左眄する会社の上層部と、悪化する一方の待遇も含めて」

「泥船化した読日からさっさといち抜けした、と理解していいのか」

「敵前逃亡の卑怯者、とののしられてもけっこうです」

 有馬はふてぶてしく言い放つ。三浦が心の底を探るように凝視してくる。ネタの真偽を吟味する新聞記者の目だ。唇が皮肉っぽく動く。

「悪ぶるのがおまえの欠点だな。露悪的と言うか、かっこつけと言うか」

 口元で冷笑する。

「ホントは青臭い正義漢のくせしやがって」

 首筋が熱くなる。三浦はテーブルに片肘をつき、上半身を乗り出してくる。

「なあ、有馬。吐けよ。辞めたほんとうの理由があるんじゃないのか?」

 有馬はこわばった顔の筋肉を励まして微笑む。

「三浦さん、買いかぶり過ぎですよ」

 上ずってしまう声をなんとか抑えて返す。

「おれは単なる俗物ですから」

 三浦は充血した目を据え、ぼそりとつぶやく。「まあいい」

 上半身を起こし、椅子にもたれる。有馬はほっと安堵の息を吐く。

「いろいろと事情はあるんだろう。しかし──」

 三浦は目尻を指でぬぐい、悔しげに語る。

「一発、どでかいスクープを飛ばしてくれるんじゃないか、と期待してたんだがな。世間のド肝を抜く、超弩級のスクープをな」

 有馬は黙って耳を傾ける。

「おまえは取材しか能がない生粋の社会部だ。後先考えず、取材対象に突っ込むバカ野郎だ。馬力と突進力が自慢の昭和のブンヤそのものだ」

 それって褒めているつもりか?

「新聞が昔の栄光を取り戻すとしたら調査報道によるスクープだ。闇に潜む巨悪を引きずり出してぶったたき、世間が快哉を叫ぶ特大のネタだ。自戒を込めていうが、小賢しいだけの社内評論家が跋扈する大新聞社に未来はない」

 伝票片手に腰を上げ、先輩は未練がましく言い添える。

「一度、おまえとでっかい仕事をしたかった。いまさら言っても詮無いことだがな」

 言ってるじゃありませんか、とつっこみを入れる。後輩の礼儀だ。三浦は苦笑し、背を向け、出て行った。

 有馬は冷えたコーヒーを飲む。後先考えないバカ野郎、か。そのバカ野郎がいま、突っ込むとしたらあいつだな。本丸のターゲットを見据える。城隆一郎。数百億のカネを運用し、莫大な収入を得ながら、いっさい表に出ない、謎の引きこもり野郎だ。

(続く)