人は自分の死を自覚した時、あるいは死ぬ時に何を思うのか。そして家族は、それにどう対処するのが最善なのか。
16年にわたり医療現場で1000人以上の患者とその家族に関わってきた看護師によって綴られた『後悔しない死の迎え方』は、看護師として患者のさまざまな命の終わりを見つめる中で学んだ、家族など身近な人の死や自分自身の死を意識した時に、それから死の瞬間までを後悔せずに生きるために知っておいてほしいことを伝える一冊です。
「死」は誰にでも訪れるものなのに、日ごろ語られることはあまりありません。そのせいか、いざ死と向き合わざるを得ない時となって、どうすればいいかわからず、うろたえてしまう人が多いのでしょう。
今回は、『後悔しない死の迎え方』の著者で看護師の後閑愛実(ごかんめぐみ)さんと、現在ドラマ放映中『泣くな研修医』の原作者である外科医の中山祐次郎(なかやまゆうじろう)先生という二人の医療者による対談を収録しました。
看護師、医師という2つの視点から、患者さん、あるいは家族が死とどう向き合っていってほしいかを語ってもらいます。(撮影:永井公作)(こちらは2019年1月12日付け記事を再掲載したものです)

医師 患者Photo: Adobe Stock

医療者と患者の距離

看取りに接する医師と看護師が伝える、<br />医療者まかせの看取りが怖い訳
後閑愛実(ごかん・めぐみ)
正看護師。BLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター。看取りコミュニケーター
看護師だった母親の影響を受け、幼少時より看護師を目指す。2002年、群馬パース看護短期大学卒業、2003年より看護師として病院勤務を開始する。以来、1000人以上の患者と関わり、さまざまな看取りを経験する中で、どうしたら人は幸せな最期を迎えられるようになるのかを日々考えるようになる。看取ってきた患者から学んだことを生かして、「最期まで笑顔で生ききる生き方をサポートしたい」と2013年より看取りコミュニケーション講師として研修や講演活動を始める。また、穏やかな死のために突然死を防ぎたいという思いからBLSインストラクターの資格を取得後、啓発活動も始め、医療従事者を対象としたACLS講習の講師も務める。現在は病院に非常勤の看護師として勤務しながら、研修、講演、執筆などを行っている。著書に『後悔しない死の迎え方』(ダイヤモンド社)がある。

後閑愛実さん(以下、後閑):医療者の死生観で、患者さんの生き方が右往左往されてしまっているんじゃないかと思うことがあります。中山先生の著書『医者の本音』の中でも書かれていましたが、医師にとって患者さんの死は2.5人称。やっぱり家族と同じにはなり得ないですよね。そうはいっても、3人称、その他大勢の死というほどでもないとは思いますが、家族も本人もすべて医療者まかせということにはしてほしくないと私は思っています。

中山祐次郎先生(以下、中山):説明を足すと、2人称は「あなた」、3人称は「どこかの誰か」。つまり2人称は家族などの大切な人、3人称は見知らぬ人。医者と患者さんの距離ってどれくらいあるんだろうって考えた時に、やっぱり家族にはどうしてもなり得ないし、愛する人でもない。けれどもまったく知らない他人ではない、というところで2人称と3人称の間、2.5人称と私は考えています。

それくらいの距離感が、医師として冷静かつ温かみのある判断ができるのではないかと感じています。

ただ、医者の死生観もさまざまで、それを押し付けるのか押し付けないのか、それとも家族にまかせてしまうのか、まかせるならどれくらいか、8:2なのか5:5なのか。そういうのは人にもよるでしょうし……難しいとこですよね。

後閑:近すぎず遠すぎず、ということですね。ちなみに、近すぎたなという例はありますか?

中山:ありますね。医者として若かった頃のことです。

私はその時、研修医だったんですが、医者として大した貢献ができずにいて、だけどどうにかしたいという気持ちがあったから、おそらく私は距離を詰めすぎてしまったんです。

その患者さんの病室に休みでも通ったり、医療と関係ない話もたくさんしました。その患者さんはがんで、その後亡くなられました。私はその方のお葬式に行ったんですよ。お葬式に行って、すごく辛い思いをしました。すごく心が傷ついたので、これがしょっちゅう起きたら、とてもじゃないけど自分の心が持たないと思いました。