いくら「欲望」を追っても満たされない残念な理由

元財務大臣が十代の娘に語りかけるかたちで、現代の世界と経済のあり方をみごとにひもとき、世界中に衝撃を与えているベストセラー『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』(ヤニス・バルファキス著、関美和訳)がついに日本に上陸した。
ブレイディみかこ氏が「近年、最も圧倒された本」と評し、佐藤優氏が「金融工学の真髄、格差問題の本質がこの本を読めばよくわかる」と絶賛、ガーディアン紙(「新たな発想の芽を与えてくれるばかりか、次々と思い込みを覆してくれる」)、フィナンシャル・タイムズ紙(「独自の語り口で、大胆かつ滑らかに資本主義の歴史を描き出した」)、タイムズ誌(「著者は勇気と誠実さを併せ持っている。これぞ政治的に最高の美徳だ」)等、驚きや感動の声が広がっているその内容とは? 一部を特別公開したい。

思考実験──君は「理想の世界」に行きたいか?

 ある天才科学者が、とんでもないコンピュータを設計し、つくりあげたとしよう。名前はHALPEVAM。「発見的アルゴリズムによる喜びと経験価値最大化装置」(Heuristic Algorithmic Pleasure & Experiential VAlue Maximiser)の略称だ。

 HALPEVAMは『マトリックス』に出てくる、人類を奴隷化して仮想現実に閉じ込めるような、人間嫌いの恐ろしい機械とは正反対だ。HALPEVAMは人間にとって信頼できる召使いであり、究極の喜びを与えてくれる機械だ。

 HALPEVAMは君の脳波を読み取り、君が何を好きか、嫌いか、何に悲しむかを100パーセント正確に理解する。そして、君の基準で最高だと思う人生を仮想現実にしてくれる。その中に生きる君には、それが仮想現実であることはわからない。君は欲望も野心も感情も行いも変える必要はない。仮想現実が君の欲望に合わせてくれる。

 ではここで、今度の5月の君の誕生日にこの科学者がかっこいいペンをプレゼントしてくれたとしよう。このペンで壁に四角か丸を描けば、ハリー・ポッターが9と3/4番線から列車に飛び乗ったように、君は壁の向こう側に飛び移ることができる。向こう側には何があるだろう?

 壁の向こうには、HALPEVAMが君のためだけにつくりだした仮想現実がある。そこで無限の喜びが君を待っている。普通の生活にあるような雑用も、痛みも、悲しみもない。父親から退屈な話を聞かされることもない。君が至福の喜びに浸っているあいだ、医療ロボットたちが最先端の施設で君の体をいたわり、いつも万全の状態に保ってくれる。

 君なら壁の向こうに飛び移るだろうか?

「もちろん」という君の声が聞こえる。

 だが「ちょっと待って」と科学者が警告する。一度壁の向こうに行ってしまうと、二度と戻ってこられないのだ。君は残りの人生をずっとHALPEVAMの完璧な夢の中で過ごすことになる。
 ではここで質問だ。君は永遠に壁の向こうで過ごしたいだろうか?