「このまま、今の会社にいて大丈夫なのか?」

ビジネスパーソンなら一度は頭をよぎるその不安に、11万部を突破したベストセラー『転職の思考法』で、鮮やかに答えを示した北野唯我氏による人気連載。今回のテーマは、「部門別採用」について。

【変わる、平成の就活】「就社ではなく、就職を。」に感じる、違和感の正体

「就社より就職」の本質はどこにある?

就社ではなく、就職を。

というフレーズはここ5年で度々、聞くようになった。いわく、「会社に就職する気持ちではなく、マーケティングやファイナンスといった職種に勤めなさい」ということらしい。

私はこの意見を聞くたびに2つのことが頭をよぎる。

1つは「まぁそうだなぁ」という同意の気持ち。私自身はキャリアの「最大公約数的な答え」は、20代で専門性、30代で経験、40代は人脈だと思っているからだ。

一方で「ちょっとだけズレてるなぁ」と反対したくなる気持ちもある。具体的には「本当は職能ではなく、部門(部署)の方が本質的なのに!」と感じるのだ。

どういうことだろうか?

【変わる、平成の就活】「就社ではなく、就職を。」に感じる、違和感の正体北野唯我(きたの・ゆいが)
兵庫県出身。神戸大学経営学部卒。新卒で博報堂、ボストンコンサルティンググループを経験し、2016年ワンキャリアに参画、最高戦略責任者。1987年生。デビュー作『転職の思考法』(ダイヤモンド社)は11万部。2作目『天才を殺す凡人』(日本経済新聞出版社)は発売3週間で5万部を突破中。レントヘッド代表取締役も兼務。

すでに職種別採用は60%。部門別採用17%

リクルートが出している『就職白書2017』には、企業の2018年の採用方針が書かれているが、ここにはすでに60%の企業が「職種別採用」を導入する予定であることが書かれている。

ここに書かれている「職種別採用」とは、「総合職」や「研究職」といったザックリとしたものも含まれているため、もちろん、上にあげた「職能」とは意味あいが多少異なる。

その意味でたとえば、学生さんが「職能で仕事を選びたくても、いまは選びづらい」と言うのは事実に近いだろう。

だが、もっとマクロな視点、すなわち、長期的な視点でみたとき、私は「職種より、部門別(部署)採用の方が大事ではないか?」と感じるのだ。

まず、部門別採用というのは、その名の通り、自分が入社する部門や部署、チームを先に決めた状態で就活する、ということだ。

わかりやすくいうと、中途面接をイメージするといいかもしれない。中途面接では、多くの会社で配属される部署の人との面接が組まれるからだ。

たとえば、P&Gやゴールドマンサックスのような多くの外資系企業というのは、この2つが決まっている。「職種別採用」でもあるが「部門別採用」でもあるということだ。つまりこの2つはオーバーラップしえるものであり、どちらかというと部門別(部署)採用だと、職種も決まっていることが多い。という構造にある。

そしてこの部門別採用を新卒でやっているのは、上述のデータによると日本では17%しかない。

つまり、日本は(一応)職種別採用はやっていて、むしろ少ないのは「部門別採用」のほうなのだ。

部門別採用は「ビジネスパーソンが育つ」

では、なぜ、部門別採用のほうがいいかと考えているかというと、それは端的にいうと「ビジネスパーソンとして成長するから」と「採用に責任を持つ人が明確になるから」だと私は思っている。

(さらにもっというと人間には職種より「誰と働くか」のほうが大事な人がたくさんいるからだ)

採用というのは、本当に難しい。

私は普段、IT企業の役員をしているが、ビジネスパーソンにとって最も成長するのは「採用から育成まで一貫して責任を持つこと」だとつくづく感じる。

たとえば、面接の場ではよさそうに見えても、入社すると全然活躍できなかったりする人もいる。逆に、面接では地味そうに見えてもそのあと大活躍する人もいる。

採用とはビジネスパーソンにとって最も必要な「人を見る目を育てる機会」であり、「人の成長にコミットする機会」になりえるのだ。

採用にコミットしたとき、ビジネスパーソンは、単なるプレーヤーではいられなくなる。そこには雇用の責任も、リーダーとしての自覚も生まれる。

とくにスペシャリストではなく、ディレクターや、ジェネラリストにとって「採用から育成までの経験を一通り経験しているかどうか」は圧倒的な差をつけるとすら感じる。これは、リクルートがエース人材を人事に置くことがわかりやすいだろう。

裏を返せば、日本型の総合職一括採用の弱みは、このPDCAが回らないことだと思うのだ。

たとえば、人事は人事で「せっかくいい人を採ったのに現場が潰した」と言えるし、現場は現場で「人事がセンスがない」と他責にすることができる。つまり「責任の所在がわからない」がゆえに、いつまでたっても人事力が成長しないのだ。

このような状態では「いつでも転職できるような人間が、それでも転職しない最強の会社」は達成できない – とさえ思うのだ。(『転職の思考法』より)

働き方改革の次は、「仕事選び改革」

「働き方改革に効果があったかどうか?」

という論議は、散々繰り広げられてきた。私自身はこれだけ話題になった時点で効果はあったと感じる立場だが、次の改革はどちらかというと「仕事選びの改革」だと感じる。

これから寿命が伸びるに従い、人は人生で何度も仕事を選ぶ必要が出てくる。80歳まで働くとしたら、1つの会社に20年勤めたとしても、3回は仕事を選ぶ必要が出てくる。

かつては、この国の「仕事選び」はブラックボックスに包まれていた。就職ランキングとは広告費ランキングとほぼ同じだった。

だが、食は食べログ。本はアマゾンのように、その会社の実態は「信頼性が高いクチコミ」によって透明化されるようになってきた。

あるいは、かつては早稲田や、慶應の学生だけが手にすることができていた「就活の裏情報」や「先輩のエントリーシート」は誰でも無料で手に入れることができるようになった。

【変わる、平成の就活】「就社ではなく、就職を。」に感じる、違和感の正体

上の写真は、筆者が勤める会社のマスプロモーションだ(イメージ図)。

いまの就活では、先輩のエントリーシートや、昨年の面接内容などが簡単に手に入る(→https://www.onecareer.jp/lp/es_kokaichu/)。

当然、情報はただのビットだ。それを使いこなすためには思考の軸がいる。働く場所を間違えれば、どれだけ「働き方が改革」されても、本質的には何も変わらない。

労働時間が短くなっても、ブラック産業はブラックなままだし、仕事に熱中する人からすると「労働時間の長短」は関係ないことだ。

つまり、次に求められているのは「仕事選びの軸を自分なりにしっかり持つことができるか」。そして、その上で「部門別採用」が増え、日本の人事システムが発展していくこと。

これなのではないか? と思うのだ。