平成初期は、今の比ではないほどの通勤ラッシュでした。平成の30年間で混雑は緩和され、ホームは完全禁煙に、さらに冷房付き車両が当たり前になるなど、鉄道は大きく進歩した 写真:読売新聞/アフロ

平成の30年間で、駅や電車内の環境は大きく変わった。バブル期には、地下鉄ですらホームでたばこを吸えて駅前は放置自転車だらけ、冷房なしの車両も運行しており、おまけに駅員も乗務員もほぼ全員男性というのが、鉄道のスタンダードであった。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

今の比じゃなかった
地獄の鉄道ラッシュ

 華やかなバブルの時代にも、疲れたサラリーマンを乗せた電車は走っていた。空前の好景気を受けて都市活動は活発化し、鉄道利用者は急増、1992年頃にピークを迎えた。象徴的な車両として、混雑時には座席を格納して全員が立って乗るという6ドア車両が山手線に登場したのが1990年のことである(2011年に廃止)。翌1991年に、山手線は10両編成から11両編成に増強されている。

 絶え間ない輸送力増強の結果、鉄道の混雑率は1970年代以降一貫して改善傾向にあったが、バブル期に限っては足踏みか、東武伊勢崎線や西武池袋線など混雑率が悪化した路線もあったほどだ。そもそも当時の混雑は今よりもはるかに激しく、例えば1990年のJR中央線快速のピーク1時間の平均混雑率は255%(2017年は184%)、JR東海道線は240%(同187%)、東急東横線は204%(同168%)である。

 一方、駅や車内の環境は、民営化で生まれ変わったJRを筆頭に、輸送一辺倒の時代からサービス重視の時代に向けて変わりつつあったが、この頃はまだ昭和の風景がそのまま残る地域も少なくなかった。平成の30年間で通勤環境がどれだけ変化したのか、1990年の東京にタイムスリップして、当時の鉄道風景を振り返ってみよう。

 まず路線図を開いてみる。埼京線や京葉線は開通済みでJRの路線網はおおよそ完成しているが、湘南新宿ラインや上野東京ラインといった直通運転は始まっていないので、乗り換えが何度も必要だ。東急新玉川線や目蒲線など懐かしい路線名もある。

 地下鉄は南北線が7号線、大江戸線が12号線という名称で工事中。半蔵門線は1990年11月にようやく水天宮前まで開業したばかりだ。平成の30年間に建設された地下鉄は、現在の総延長の3割近い約84キロにも及ぶ。

 駅に向かうと、駅前の路上や歩道、店舗前に鈴なりになったような違法駐輪の自転車が目立ってくる。この頃、通行の妨げや事故の原因にもなるとして社会問題だったのが「放置自転車」だ。1994年に成立した「自転車法」で自治体や鉄道事業者に駐輪場の整備を促すとともに、放置自転車の撤去や処分の権限を制定したことで改善が進み、都内の放置自転車数は1990年の約25万台から2017年は3万台以下と劇的に減少した。