2008年、24歳のときに、ある日突然乳がんを宣告された鈴木美穂さん。日本テレビに入社して3年目、記者として充実した日々を送っている最中だった。3週間後、右乳房を全切除。強い喪失感、副作用に苦しんだ抗がん剤治療などを経て8ヵ月後に職場復帰した。そしてこのほど、今に至るまでの約10年間の記録を、その時々の気づき、思い、学びとともに『もしすべてのことに意味があるなら~がんがわたしに教えてくれたこと』として1冊にまとめ出版。今回は、「がんになった後、がんを経験した人に対する誤解や偏見を感じたこと」や、「小泉進次郎さんがキックオフイベントで話してくれたこと」について、伺いしました。(構成/伊藤理子)

「がんは感染する病気じゃないのに、どうして?」

──がんになった後、がんを経験した人に対する誤解や偏見を感じたことがあるそうですね。

 はい。何度も悲しく、残念な思いをしたことがありました。

 まだ抗がん剤治療をしていたころ、気分を変えたくてネイルサロンに行ったのですが、薬の影響で爪が少し黄色くなっていたので雑談交じりにそれを伝えたところ、「うちはみんな同じブラシを使うので」と断られたことがありました。
「がんは感染する病気じゃないのに、どうして?」と驚き、ショックを受けましたが、説明するのも悲しくて、泣く泣くそのまま帰りました。

 職場復帰してかなり体調も戻ったころに行ったエステサロンでも、とても悲しい思いをしました。施術前に記入するシートに手術歴の記入欄があり、「あり」と答えて正直に病名を書いたら、「うちは病院併設ではないので施術できません」と断られたんです。「主治医からも何の問題もないと言われています」と伝えても、「体に悪影響を与えてしまったら責任を取れない」の一点張りで、帰らされてしまいました。

 同じころ、大きなローンを組めないという現実にもぶつかりました。
当時は、「がんを経験したし、胸に大きな傷はあるし、もう恋愛も結婚も無理だろう」とあきらめていたので、将来ひとりで生きていくために単身用のマンションを買おうと真剣に検討していました。でも、いざ話を進めてみると、手術後最低5年間は経っていないと、お金を貸してくれるところが見つからなかったんです。私の人生は、信頼に値しないんだ…とショックを受けましたね。いずれも、当事者以外の方は、些細なことと感じるかもしれませんが、私はその都度深く傷つき、世の中を冷たく感じてしまいました。

──以前お話ししただいた、電車の中での出来事もそうですよね?職場復帰直後に体が辛くて優先席に座っていたら、「若いのだから立ちなさい」と言われたという…。

 車内で頑張って立っていても、復帰してしばらくはまだ体力がないから、ちょっとした揺れでふらついてしまうんです。悪気はないのですが、ふらついて他の人にぶつかってしまったとき、「ちゃんと立てよ!」と言われたこともありました。

 確かに、外見だけ見れば、若くて元気そうな女の子ですからね。なぜ若い女の子が優先席に座っているのか、なぜちゃんと立てないのかと思われたのでしょうが…そういう誤解が本当に辛かったです。

 でも、こういう経験をしたからこそ、他人の痛みや事情を想像し、敏感になろうと思うことができました。

 がんになるまでの私は、「痛みや事情を抱えた人」というのは、自分ではない誰か他人のことだと思っていました。でも、私自身が乳がんという事情を抱え、このような経験をしたことで、周りのことを「自分ごと」に置き換えて見られるようになりました。

 普通の顔をして電車に乗っている隣の席の人も、実は重い病気を抱えていたり、心の中に辛いこと、悲しいことを抱えていたりするのかもしれない…このように想像できるようになったことも、がんになったことで学んだ大切なことだと思っています。