採用多様化の時代におけるサラリーマンの「新」処世術Photo:PIXTA

企業側の採用方針が変更

 ここのところ、日本経済団体連合会(中西宏明会長)や経済同友会(櫻田謙悟代表幹事)などの企業団体側から、これまで一般的だった新卒一括採用を、通年採用、さらにはキャリア採用に切り替えっていく方針の表明があった。

 これまで、日本の企業は新卒採用に一定の合理性があるとして、特に経団連はこれまで大学の新卒者採用に関する統一ルール(注:罰則規定はない)を提示するなど、企業の新卒一括採用を後押しするかのような行動を取ってきた。しかし、会長が日立製作所の中西氏に代わってからずいぶん現実的に変化してきた(筆者は、経団連という企業経営者の利益団体の存在意義には疑問を持っているが、現在の中西会長個人に関しては発言からうかがえる現状認識と見識には大いに好感を持っている)。

 日本の大企業における新卒一括採用に始まる人事制度は、社員の処遇に対する集団主義であると同時に一種の護送船団方式だった。社員は、入社年次ごとに相対的な競争にはさらされるが、企業は同期が形成する集団の相対評価上、一定のポジション(下から3割くらいだろうか?)の社員が一応何とかやっていくことができるような仕事の水準を要求した。

 相対的な競争はそれなりに厳しく、しばしば精神的に陰険なものだったのだが、「同期」周辺の集団の中で能力のある個人は楽をしていたことは否めない。日本企業は人材のポテンシャルをフルに発揮させることよりも、集団を管理しやすい人事制度を選んだ。

 こうした人材活用は、日本企業の生産性が上がらないことの大きな原因だったと思われる。本来なら、桁違いに大きな成果を上げるべき人材に楽をさせていたのだから、画期的なイノベーションは生まれにくい。

 こうした「人事の護送船団方式」は、日本企業で社員がやるべき仕事が安定的で、かつ企業に競争力と収益力がある間は維持できたが、デジタル化を背景とする技術の変化や、ビジネスモデルの変化のスピードが上がって、個人の生産性に差が開くようになると、現実に合わなくなってきた。

 一般に新しい技術やビジネスのやり方が仕事に関わってくると、適応力の差が生産性に表れるので、「できる人」と「できない人」の生産性の差が大きく拡がる。加えて、若くて有能な人材が、年齢や社歴を逆転して先輩社員よりも仕事ができる状況が頻繁に生じる。

 若くてもよくできる社員の生産性が、先輩社員の生産性を数十倍上回るようなことが頻繁に起こりうるのだ。

 優秀な人材に楽をさせると、将来大きな成果を上げる、真に貴重な「超優秀」な人材に育ちにくいし、そうした人材を「同期並み」を標準とする相対評価のさじ加減程度で処遇しても、もっと条件のいい他社に転職されてしまう可能性が大きい。

 遅まきながら、日本企業の経営者の多くが、新卒一括採用に始まる人事制度の深刻な非効率性に気付いたのだろう。

 通年採用やキャリア採用の普及は今後着々と進むだろうし、これと整合的に人事制度も変化するだろう。つまり、サラリーマンにとっての「ゲームのルール」が大きく変化する時代に入った。

 それでは、こうした時代にあって、サラリーマンはどのようなマインドセットを持って、どのように働くといいのだろうか?