古今東西のイノベーションに通じる、元WIRED編集長で黒鳥社コンテンツ・ディレクターの若林恵さんは、シリアル・イノベーター濱口秀司さんの論文集『SHIFT:イノベーションの作法』をどのように読んでくださったのか。若林さんが「この論集で(特に)多く語っている」と感じたのは、イノベーションを技術化するための〈下ごしらえ〉の部分。いざやってみると滅法難しいこの<下ごしらえ>を成功させるための、アタマの使いかたについて、若林さん流に読み解いてもらいました!

若林恵さんに聞く「イノベーションを考えるとき、わたしたち凡人は、アタマを使う場所をたいてい間違える」若林 恵(わかばやし・けい)さん
(黒鳥社コンテンツ・ディレクター)

会社というのは多くの場合、きらめく天才の集団であるよりは、どちらかというと生真面目な凡人の集まりでしかない。なので、そこに天才的なヒラメキを求めるのは、そもそもハナから無理がある。ということをちゃんと考慮せずに、破壊的なアイデアをヤミクモに社内に求めたところで、うまいアイデアが出てくるどころか、突拍子のない思いつきを言い合う下手な大喜利のようなものにしかならない。ないものねだりのイノベーション探しは、ランダムな妄想合戦に帰着する。そんなものを勤務時間内にやってたら、そりゃあ時間の無駄とも誹られる。ってか飲み屋でやれよ。

というわけで、凡人がイノベーションを生むためには、まず愚にもつかない妄想に帰着しないよう、お題をきちんと整える必要がある。わたしたちのような凡人の思考スキルでちくちくといじることができる対象へとお題をつくりかえる、すなわちアイデアやヒラメキをエンジニアリングに起き換えることが欠かせない。エンジニアリングの対象としてお題を整え対象化することで、イノベーションはようやく凡人でも扱えるものとなる。なぜなら、そのとき、イノベーションは才能やヒラメキの問題ではなく、ロジックの問題、ロジックを扱う技術やスキルの問題となるからだ。技術/スキルのいいところは、才能とちがって修練さえ積めば誰でも身につけることができることだ。その平等性が見出されたとき、イノベーションは初めて再現性やポータビリティを備えたものとなる。濱口さんは、この論集でイノベーションを技術化するための〈下ごしらえ〉の部分について多くを語っている。

イノベーションとやらを考えるとき、わたしたち凡人は、アタマを使う場所をたいてい間違える。〈アウトプットがイノベーティブであること〉にばかり気を取られてしまう。濱口さんが教えているのは、イノベーションはアウトプットにではなく〈どうやったらそのお題を思考可能なものにできるのか〉というところに宿るということだ。イノベーションは創造的アートではなく、工学的技術なのだ。この論集を読む上での前提はこれだ。あなたが凡人であるなら、まずその前提を徹底的に信じなくてはならない。まかり間違っても自分のヒラメキや才能なぞをアテにしてはいけない。

もっとも、この〈下ごしらえ〉は、いざやってみると滅法難しい。わたしたちは、そこに思考をめぐらせることにまったく慣れていないどころか、生まれてこの方そんなアタマの使い方をしたことすらないからだ。であるがゆえに、そこが濱口さんいうところの〈バイアス〉の温床となるわけだが、濱口さんを見ていると、バイアス探しの能力は、技術というよりやはり才能に由来するのではないかと思えてしまうところが悩ましい。濱口さんは、それを〈再現性のある技術〉と捉えているはずだが、現状においてその技術をハイレベルで身につけているのが濱口さんしかいないのであれば、それが再現性のある技術なのか、濱口さんだけがもつ特殊な才能なのかは、実のところ測るすべがない。

とはいえ、わたしたち凡人が取るべき道は、結局のところひとつしかない。濱口さんの語る〈作法〉がどこまでいっても技術であると信じてそのスキルを体得すべく努力を重ねることだ。その結果「なーんだ、濱口秀司のやってることなんて誰だってできるね」となるのであれば、そのとき日本は相当な競争力をもったイノベーション大国になっているはずで、それこそが濱口さんがこの論集に込めた願いだとしても、それは裏を返せば、論理的にアタマを使う技術を身につける以外には、日本のビジネスが未来を見出す道はないだろう、という(愛ある)厳しい叱咤でもあるからだ。