五島慶太写真:国立国会図書館デジタルコレクション

 東京・渋谷の東急百貨店東横店が2020年3月31日で営業を終了する。渋谷駅に直結する同店は1934年に開業した「東横百貨店」が前身で、86年の歴史に幕が下りることになる。

 1955年1月5日号には東京急行電鉄会長の五島慶太(1882年4月18日~1959年8月14日)のインタビューが掲載されている。当時、五島は73歳。亡くなる4年前の記事だが、東急電鉄を関東私鉄の雄に育て、鉄道を中心とする一大コンツェルンを築き上げた波乱万丈の事業家人生を振り返るとともに、なおも青年起業家のごとく抱いている夢を語っている。

 今回、営業終了が決まった東横百貨店にも五島の“夢”が詰まっていた。

 鉄道会社を次々と買収する強引な手法から、五島は「強盗慶太」の異名を取ったが、インタビューでも、同店に三越を合併させようと考え、三越の株を過半数買ったという話を披露している。三井財閥の祖業である三越を乗っ取るという大胆な行為。まさに強盗慶太の本領発揮といったところだ。

 三越の乗っ取りに関しては、当時の商工大臣兼大蔵大臣だった池田成彬と阪急東宝グループの創業者である小林一三の2人が五島のところにやって来て、「ヘビがカエルをのむようなことは、しばらく見合わせてくれないかと言ってきた」と五島は話す。ただし、これについては「東急が三越を買収するなど、カエルがヘビをのみ込むより難しい」と小林に諭されたという通説の方が有名である。

 結局、五島は三越の買収を断念するのだが、都心の三越に向かう客を手前で食い止めるべく、渋谷をはじめとする主要ターミナル駅の開発を進める。特に渋谷に関しては映画館を建て、東横百貨店の向かいにはプラネタリウムや映画館などが設置された東急文化会館を開業するなど、大開発を行った。

 インタビューにも登場する映画館(東横映画劇場)は、後に東宝に売却して渋谷東宝会館となり、現在は渋東シネタワーとなっている。東急文化会館は2003年に閉鎖され、跡地には複合商業施設「渋谷ヒカリエ」が開業、東横百貨店内にあった東横ホールの流れをくむミュージカル専門劇場「東急シアターオーブ」が設置されるなど“文化の香り”を残している。

 五島が亡くなってこの夏で60年になるが、同氏が当時抱いていた夢は、形を変えて今も生きている。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)