テコンドー山田美諭テコンドー女子49キロ級山田美諭選手(写真左)。そのほかにも有力候補が多数いながら、選手から全日本テコンドー協会への不信感は募るばかりだ Photo:EPA=JIJI

 テコンドーの日本代表合宿が直前に中止された問題で、一般財団法人日本テコンドー協会の運営体制がにわかに問題視されている。

 28人の参加対象者に合宿の出欠を確認したところ、参加を希望したのは2人だけ。他の26人は参加を辞退した。その理由は、協会の強化方針や運営体制に著しく不信があるから、ということが明らかになった。これが今回の騒動の発端である。

 テコンドーは、1988年のソウル五輪から公開競技としてオリンピックに採用され、2000年シドニー五輪から正式種目になった。日本ではそのシドニー五輪、女子67キロ級で岡本依子選手が銅メダルを獲得し注目を集めた。

 だがそれ以上に耳目を集めたのは、次のアテネ五輪に「競技団体分裂のため、岡本選手が五輪に出場できない」という騒ぎが起こったときかもしれない。そのときは、個人の資格で出場するという超法規的な扱いで参加が認められた。

 日本国内のテコンドー組織の分裂や対立は、今回に始まったことではない。分裂、統一、また分裂といった歴史を繰り返している。

 今回、選手たちがこぞって反旗を翻す直接のきっかけも当然あった。

 6月末の総会で、阿部海将強化本部長の理事再任を否決し、協会は強化体制を刷新する方針を確認していた。ところが、8月3日に総会を開き、阿部氏の理事再任が承認された。背景には強力なリーダーシップを発揮している金原昇会長の強い意向があったと選手たちは理解している。そのため、会長をはじめ現体制に強い不満と不信がさらに募った。

分裂と対立を繰り返してきた
日本テコンドー組織の歴史

 できるだけ簡潔に、なぜ分裂を繰り返すのか、背景をまず押さえておきたい。

【背景1】 そもそも、テコンドーは日本の松涛館空手を基に1950年前後に考案された新しい格闘技である。名付け親は日本に留学していた崔泓熙(チェ・ホンヒ)氏といわれるが、韓国内で普及の中心になったのはまた別の人物たち。そのため、韓国内でも複数の流派がある。