大川 功・CSK(現SCSK)創業者

 CSK(現SCSK)の創業者、大川功(1926年5月19日~2001年3月16日)は、日本の情報産業の黎明期を支え、ベンチャー支援にも力を注いた人物である。

 大川の著書『予兆/情報世紀をひらく』に、こんな一節がある。「新しい産業には、必ず『予兆』がある。その予兆を逃さずに捉え、これを命がけで事業化する人に対して、天は『時流』という恩恵を与え、そして『使命』という責任を負わせる」。

 大阪でタクシー会社を経営していた大川は、1968年10月、42歳のときにタクシー会社を売却してコンピューターサービス株式会社(CSK)を起こす。CSKは、一言でいえばコンピューターを扱う人材派遣業である。大型コンピューターを導入した顧客先企業に技術者を派遣し、開発から保守まで請け負う、今でいうシステムインテグレーターだ。コンピューターが一般的でなかった時代に、「情報化社会」が到来する「予兆」を捉えたのである。

 このインタビューは80年9月6日号に掲載されたもの。この月、CSKはちょうど株式を店頭公開しており、まさに「時流」に乗った成長企業として注目を浴びていた。この2年後の82年には、国内のシステムインテグレーターとして初めて東証2部に上場を果たしている。

 実際、当時のCSKが属する「情報サービス産業」の市場拡大はすさまじかった。80年度における情報サービス産業の市場規模は6698億円、従業者数は9万3271人だった(経済産業省「特定サービス産業実態調査」)だったが、わずか5年後の85年には市場規模1兆5618億円、従業者数は16万2010人と急拡大。さらに90年には市場規模5兆8726億円、従業者数は45万8462人といった具合である。

 ところが90年代に入って、バブル崩壊の影響で設備投資が冷え込んだことと、大型コンピューターからパソコン、パッケージソフトへのシフトで業績は悪化。セガエンタープライゼスやベルシステム24、アスキー、T-ZONEなど、次々と資本参加した企業の再建にも追われ、厳しい時期を過ごすことになる。

 しかし大川は一貫して、情報産業の振興とベンチャーの育成に力を注ぐことはやめなかった。それを自らの「使命」と考えていたのだろう。

 語り草となっているのが98年の米マサチューセッツ工科大学(MIT)への2700万ドル(当時の為替レートで約35億3430万円)の寄付である。MITメディアラボのニコラス・ネグロポンテ所長から、研究所の増設資金について相談された際、二つ返事で「現金で、明日払うわ」と答えた。実際に送金を頼まれたスタッフたちは大慌てだったという。

 現在も、大川の寄付によってMITメディアラボ新館に設けられた「Okawa Center for Future Children(未来の子供たちのための大川センター)」では、子ども、学び、テクノロジーをキーワードとした研究が進められている。

 ベンチャー投資においては気前のいい“大旦那”の名をほしいままにした大川だったが、経営に関しては頑なに「不動産には手を出さない」という慎重な姿勢を貫いた。だが、2001年の大川の死去後、金融出身の経営者たちが後を担ったCSKは、不動産金融・証券事業に軸足を移してしまう。その結果、サブプライムローン破綻、リーマンショックなどの影響で巨額赤字を計上。11年10月1日に同業の住商情報システムに吸収合併されてしまった。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

コンピュータリゼーションの
時流に乗った

1980年9月6日号1980年9月6日号より

――新宿住友ビル37F。正面入り口にびっくりするほど大きな顔写真。その右に「情報産業元年 1980年元旦 大川功」と縦の書き初め。さらに「学ぶ社風の実践!!」の標語の下に情報処理試験合格者の顔写真が数百枚。高度成長の売上高と見事な相関関係を示す社員数推移のグラフが続く。これは人間の集団だ。実に人間くさい集団だ。

 勇ましい? ハハハ。若い者がみんな、あんなにしてやりますねん。大けな写真も僕知らんかったですけど、去年の9月の事業計画発表やるときに、うちの一つの技術部がこしらえてきたんだな。でっかい写真やな思て。僕びっくりしてね。その後あそこに置いたんだね。

 ああ、書き初めねえ。俺も字が下手なんだよね。出初式というのがある。朝、東京の本社でそれから飛行機に乗って大阪本社、それから名古屋と3回書いた、社員の前で書くわけですよ。あれは東京で一番最初に書いたんですな。一番まずいよね。

 大阪と名古屋で書いたのもあるわけだ。あるわけだけれども、玄関には張ってないね。大阪は大阪で、また違う玄関なんですよ。名古屋もまた違う。統制取れてないといえば統制取れてないですけどね。

――マッターホルンの岩壁に見える売上高推移のグラフ。大変な成長ぶり。

 おかげさんでね。これ、時流に乗ったというのか、コンピュータリゼーションの波がものすごく押し寄せてきてますから、ここ3年ほど平均したら40%ぐらいずつ成長してるんじゃないですか。

 今期(1980年9月期)もあとわずかですけど、売り上げが136億円ぐらい、経常が14.5億円ぐらい、税引き後利益が7億円でしょうね、たぶん。1株利益っちゅうんですか。あれが70円になりますね。

 去年の9月期が経常が10.5億円、税引き後利益が5億円でしたから、資本金5億円ですから50円ですわね。今度は70円ですから、大体40%利益は持っておるわけですね。

 来期はまだ大変ですよ。やっぱり40%で、税引き後利益は10億円でしょうな。うちは、割合好況、不景気にあんまり関係ないですね。

 なんでそんなに伸びるかといったら、エンジニアちゅうんか、技術屋がものすごく不足しとるんですよ。それだけ、コンピュータリゼーションの波がワーッと大きく広がっておるということなんですけどね。