生物とは何か、生物のシンギュラリティ、動く植物、大きな欠点のある人類の歩き方、遺伝のしくみ、がんは進化する、一気飲みしてはいけない、花粉症はなぜ起きる、iPS細胞とは何か…。分子古生物学者である著者が、身近な話題も盛り込んだ講義スタイルで、生物学の最新の知見を親切に、ユーモアたっぷりに、ロマンティックに語る『若い読者に贈る美しい生物学講義』が11月28日に発刊される。

養老孟司氏「面白くてためになる。生物学に興味がある人はまず本書を読んだほうがいいと思います」、竹内薫氏「めっちゃ面白い! こんな本を高校生の頃に読みたかった!!」、山口周氏「変化の時代、“生き残りの秘訣”は生物から学びましょう」、佐藤優氏「人間について深く知るための必読書。」と各氏から絶賛されたその内容の一部を紹介します。

人類は「凶暴な生物」なのか?Photo: Adobe Stock

人類には牙がない

 チンパンジーは小さなサルを襲って食べることがある。しかし、チンパンジーの食物全体の中で、肉の割合は5パーセントぐらいにすぎない。チンパンジーは基本的に植物食で、主食は果実である。ところが年や季節によって、果実があまり実らないことがある。そういうときには、群れと群れのあいだで争いが起きることもある。

 チンパンジーは多夫多妻的な群れを作る。一夫一妻の場合は特定の相手が決まっているけれど、多夫多妻の場合はそうではないので、とくにオス同士でメスをめぐる争いが起きやすい。争いの数としては、このような群れの中での争いがもっとも多いようである。

 チンパンジーのオス同士の争いは激しく、相手を殺してしまうことも珍しくない。こういうときに使われるのが、大きな犬歯である。つまり、牙だ。

 ところが、人類の犬歯は小さい。他の歯と同じか、むしろ他の歯より小さいぐらいだ。

 つまり、人類には牙がない。だから人類は、相手を殺すのに苦労する。

 テレビドラマでは、毎日のように殺人事件が起きる。犯人は、拳銃とか刃物とか花瓶とか、いろいろな凶器を使って人を殺す。でも、チンパンジーだったら、そんな面倒なことはしなくていい。噛めば相手を殺せるのだから、凶器なんかいらない。

 私たちはライオンが恐いし、サメが恐い。でも、何が怖いのかと考えてみると、ライオンやサメに噛まれるのが怖いのだ。ライオンやサメの牙が怖いのだ。もしもライオンやサメが噛まなければ、恐怖感はずいぶん減るだろう。

 ということで、動物にとって最強の武器は牙である。だから、テレビドラマの犯人は、本来なら相手に噛みつくべきなのだ。しかし、少なくとも私は、犯人が相手に噛みついて殺すテレビドラマを見たことがない。考えてみれば、これは不思議なことだ(有名なスパイ映画『007』の中で、人間を噛み殺す悪役が出てきたことはある。でも彼はサメも噛み殺すし、岩石の下じきになっても死なないし、歯も金属なので、ヒトには含めなくてよいだろう)。

 それでは、どうして人類には牙がないのだろうか。牙、つまり大きな犬歯を作るには、小さな犬歯を作るより、多くのエネルギーが必要である。その分、たくさん食べなくてはならない。だから、もし牙を使わないのなら、犬歯を小さくした方がエネルギーの節約になる。そして進化の過程で、犬歯は小さくなっていくだろう。

 人類の犬歯が小さくなったのは、犬歯を使わなくなったからだ。犬歯はおもに仲間同士の争いに使われていたのだから、人類は仲間同士でほとんど殺し合いをしなくなったのだろう。つまり、人類は平和な生物なのだ。