ソースネクストが創業7年目に、当時数千~数万円はしたPCソフトを1980円均一に踏み切った理由とは? 予想通り、業界からは非難が殺到。「ホームの端に立たないよう気をつけろ」と脅されながらも敢行した改革の狙いを、ソースネクストの松田社長に聞きました。

 会社を作って7年目。2003年は、ソースネクストにとって大きな転機となりました。まさにソフト業界の掟破りを、思い切って断行した年です。パソコン誌では、「ソースネクストの乱」と呼ばれました。

 何かというと、すべてのパソコンソフトを1980円均一にする、思い切った戦略に出たのです。
当時のパソコンソフトは、高いものは5万円くらいから、安いものでも3000円はしました。それを1980円均一で売り始めたわけですから、業界が騒然となったのはいうまでもありません。

 もちろん、非難囂々でした。「とんでもないことをする!」と、とりわけ業界内から叱られました。「(電車の)ホームでは端に立たないよう気をつけろ」と脅されたこともあります。

 私たちが1980円均一に踏み切った狙いは、いくつかありました。とりわけ、もっと多くの人に、パソコンソフトというものを使ってもらいたかった。そのために、量販店以外の場所でも売りたかったのです。

 販路が家電量販店だけでは、顧客層の広がりに限界があります。パソコンがどんどん広まっていっても、高齢者や女性、中高校生など、家電量販店まで頻繁に出向かない層も、まだ多くいらっしゃいました。もっと家電量販店以外の場所でもパソコンソフトを売れる場を広げたい、と考えました。

 それでも、「いくらなんでも、そこまで急に下げなくても」という声は社内でも上がりました。2980円ではダメなのか……。それでも私は1980円にこだわりました。

 一つは、本の値段を参考にしたのです。本の場合、専門書でない限り1980円以上の値付けはなかなかありません。書店に並べてもらうには、この額が上限だと考えたのです。また、書店に置いてもらうには万引きのリスクも考える必要がありました。高額になると、万引きリスクが高まるため、書店には置いてはもらえません。

 もちろん事前にテストもしました。主力製品ではない「特単」という、「特打」の要領で英単語を学ぶというソフトを、試しに1980円で売り出してみたのです。すると驚くべきことに、なんと10倍も多く売れたのです。これには大きな手応えを得ました。

 当時のソフトウェアの価格は、平均すると1本1万円ほどだったと思います。これを5分の1に下げるわけですが、それでも10倍の本数が売れたら売上は2倍になります。実際、のちに「特打」はじめ、10倍以上売れた製品もつぎつぎに出ました。

 ほかにも、アドビで買えば3万5000円はしたPDF作成ソフトと同ジャンルで、ソースネクストは「いきなりPDF」という製品を1980円で売りました。これがまた、とんでもなく売れました。
それまでは多くの企業内で、「PDFを作りたければ、あいつに頼め」と、特定の人しかPDFの作成ソフトを持っていない状況だったのではないかと思います。何しろソフトが3万5000円もしたわけですから。ところが1980円なら、みんなのパソコンに入れよう、という話になってもおかしくありません。実際、オフィス全社員分に「いきなりPDF」を買った、という話もよく聞きました。

開発費から売価を決める合理性はない

 価格を1980円にしたとき、周囲から飛んできたのは、「ソースネクストはかけている開発費が安いから、そんなことができるんだろう」という声でした。自分たちは多くの開発費を投資したのだから、売価を高く設定せざるを得ないんだ、と。
しかし、私はこう考えました。当時、流行っていた映画「タイタニック」は制作費が240億円かかったからといって、大人の映画館入場料が通常の1800円でなく5万円です、という話にはならないはずだ、と。

 ところが、「たくさん開発費をかけたから、回収するために価格を上げよう」というのが、当時のソフトウェア業界では当たり前だったのです。

 当時、映画の料金はすべて1800円。制作費がいくらかかろうが、1800円です。CDも同じです。シングルCDは1000円。アルバムは2800円。どんなに制作費がかかった映画や音楽でも、売価が5万円ということにはならない。

 実際、そう説明をすると、納得していただけるようになりました。要するに、数が多く売れて総額で儲かればいいはずです。たくさん売れるものを作ればいい。それこそ5分の1に安くして10倍売れたら、これまで以上に儲かるわけです。

 量販店側も最初は同じ反応でした。1980円均一にしたら利幅が薄くて儲からない、という声が聞こえてきました。ところが、とんでもない本数が売れるようになったのです。桁が違いました。それで、この1980円が定番化していったのです。

 お客さまがたくさん買ってくださるようになったことで、私たちもいいコンテンツをどんどん仕入れられるようになっていきました。サン・マイクロシステムズ(当時)と提携してOffice互換ソフト「スタースイート(原作名スターオフィス)」を1980円で売ったり、IBMと提携して「ロータス1・2・3」を1980円で売ったりもできました。

 1980円にすれば、絶対にもっとたくさんのお客さまが買ってくださる。私はそんな仮説を立てていたのですが、それが現実になりました。このとき初めて、ソースネクストのソフトの販売本数が、マイクロソフトを抜いて日本でトップになったのです。

 マイクロソフトより、販売本数が多い会社が出た。しかも、それが日本から──というのは、エポックメイキングな出来事だったと思います。そして、この年から7年間、私たちはずっと国内のパソコンソフト販売本数1位でした。

 加えて、開発を手がけた会社からも喜ばれました。1本当たりのロイヤリティはたしかに少なくなりました。しかし、1万円のものが1000個売れるより、1980円のものが1万個売れるほうが、はるかに実入りは大きいわけです。これもまた計算すれば、わかることです。

 結果的に、1980円のソフトは年間500万本くらい売れるようになりました。1980円で500万本ですから、約100億円。値下げ効果はとても大きかったことになります。そして、書店やコンビニで売れるようパッケージを小さくしたり、100種類のタイトルを集めたり、とさまざまなイノベーションが起きました。

 この戦略は、ソースネクストにとって、いわゆる「王手飛車取り」(将棋で最も重要な駒である王将と次に重要な飛車の両取りを仕掛ける攻め手)になったと思っています。「王手」とはお客さま。「飛車」は競合他社。競合他社を戦慄させ、お客さまに強いインパクトを与えて喜んでもらうことのできた取り組みでした。