ソースネクストの松田憲幸社長は、創業当時は毎日のように店頭でみずからソフトウェアを販売していた。今も、年に数回は現場に向かう。そのときどきのお客さまのITへの感度を確かめたり(たとえば、ひと昔前には「Wifi」は年配の方には通じないことが多かったが、今やほとんどの人には説明不要だ)、さらなるブラッシュアップのヒントを得るためである。今回は、12月6日に発売された新型の「ポケトークS」へのお客さまの反応を見ようと家電量販店にやってきた。松田社長の販売員ぶりや、その着眼点に密着した。
12月のある週末のお昼12時すぎ。
都内某所にあるヨドバシカメラ2階の電子辞書売り場に、ソースネクストの松田憲幸社長の姿があった。その目的は、12月6日に新型機を発売して快進撃がつづくAI通訳機「ポケトーク」を自身の手で販売し、お客さまの声を直接聞くためだ。
一般に「社長が登場!」と銘打って人を集め実演販売する“パフォーマンス”としての社長の直接販売はよくある。しかし、松田社長は店頭では「一販売員」に徹し、必要が生じない限りは社長とも名乗らない。
創業当時から、みずから店頭に立って販売し、ときには自社製品と関係ない売り場に案内したりもする。かつては自社のソフトウェアを売るために、まだ十分普及していなかったパソコンを(もちろん大手メーカーのものであって、自社の利益には一銭にもならないが)売りまくったこともある。でも、そうして店頭に立っているからこそ、お客さまや小売店の「今ほしいもの」「今困っていること」がわかる、というのを松田社長は痛感している。
今回、松田社長がもっとも知りたかったのは、今ソースネクストが一押しで売り出しているAI通訳機「ポケトーク」に対する反応である。明石家さんまさんが登場するテレビCMでもおなじみだろう。
「ポケトーク」は現在までに累計60万台売れている。単価約3万円の商品としては異例の数字である。
しかも、12月6日に3号機にあたる新型「ポケトークS」を売り出したばかりだ。この「S」では、初めてカメラ翻訳機能や英会話レッスン機能が搭載されたうえ、形状も小さく軽くなった。また、この「S」発売と同時に、直前の2号機「ポケトークW」は従来と比べて1万円安く、1万9800円に値下げされた。
果たしてお客さまには、新機能が搭載された2万9800円の「S」と、1万円安くなった「W」のどちらが響くのか?
売り場は、1階から上がってくるエスカレーターのすぐ正面付近に設置されていた。このヨドバシカメラ店内でも、売り場だけでなく、エスカレーター周りなど、あちこちで「ポケトーク」が宣伝されている。
「AI通訳機『ポケトーク』販売中でーす!」の声につられ、中高年層の夫婦、外国人の家族や友人連れ、若いカップルなど、さまざまなお客さまが足を止めていく。
すると、松田社長はさっとお客さまのそばに立ち、相手の関心や疑問を探りながら、つぎつぎとポケトークのウリを繰り出す。
「今この店内ではデータ通信の4Gにつながっていますが、Wifiでもどちらでも対応できます。毎月の使用料はいりません。2万9800円で2年間使い放題です」
「今ここで買っていただけたら、契約なども不要で、すぐにお使いいただける。たとえば、これを持ってパリに行っても設定は一切必要なく、すぐにそのまま使っていただけます」
「英会話の勉強にもお使いいただけます。いま35%のお客さまが実際に、英会話の勉強に使われています」
「こちらの新製品では、入国審査官とのやりとりなど、36シーンの英会話レッスンがついていて、これさえあれば英会話学校に行かなくても1人で練習できるんです。すごく便利じゃないですか?」
「翻訳機ではシェア95%と圧倒的に売れています」
「その国で話されているのが何語かわからないことってありますよね。これなら、国名を選べば、自動的にその国で使われている言語リストが表示されます」
一組のお客様に応対すること、平均約10分ほどだろうか。
「じゃあ1台買います」と言ったお客さまには大きな声で「ありがとうございます!!」。さらに「お色はどうされますか。いま人気で言えば、1位がゴールド、2位がホワイト、3位がブラック。それから12月13日にレッドも発売されました」と色の人気度もすかさず伝える。
隣り合わせの売り場で、カシオやシャープの電子辞書をずっと比較検討していた外国人の男性が、ふらりとやってきた。松田社長は英語で話しかける。どうやら、そのお客さまは日本語がごくわずかしかわからず、日常のコミュニケーションの補助として電子辞書を探していたようだった。その男性は「ポケトーク」を使って、「What the hell are you talking about?」などとhellが含まれた文章でも正しく訳されるか試している。
松田社長は、英語で売り文句を畳みかける。結局、彼も1台購入し、「Well done!」と言い残して去っていった。
「息子の勉強にも使えるわ。だから色は赤じゃないほうがいいかしらね」と購入されたご婦人もいた。
松田氏の今日の戦績は、3時間で15戦7勝。「今日はお買い上げいただけなかったけど、別の日にほかの店で買ってくださりそうなお客さまも2~3名いらした」と、お客さまの製品を試したときの反応に手ごたえを得たようだった。
ちなみに、「ポケトークW」は従来と比べて1万円値下げされているのでお得感があるが、新型の「ポケトークS」に搭載されているカメラ翻訳や英会話レッスン機能がない。全体の売れ行きを比較してみると、東京では9:1で「ポケトークS」のほうが多いが、価格に敏感な大阪では半々とのこと。
「来週は大阪で店頭に立って、価格にシビアなお客さまの反応をこの目で確かめてきます」と、松田氏の現場巡りはつづく。
松田憲幸(まつだ・のりゆき)
ソースネクスト株式会社代表取締役社長
大阪府立大学工学部数理工学科卒。日本アイ・ビー・エム株式会社のシステムエンジニアを経て、1996年に株式会社ソース(現ソースネクスト株式会社)を創業。2006年12月に東証マザーズ、2008年6月に東証第一部に上場。ソースネクストは約50カ国で働きがいに関する調査を行うGreat Place to Workによる2019年版日本における「働きがいのある会社」ランキング(従業員100~999人)で12位と5年連続でベストカンパニーに選出されたほか、東洋経済オンライン「初任給が高い会社ランキング」(2017年)で第7位にランクイン。2012年より米国シリコンバレー在住、日本と行き来し経営にあたる。兵庫県出身。新経済連盟理事。
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『売れる力 日本一PCソフトを売り、大ヒット通訳機ポケトークを生んだ発想法』
著者:松田憲幸(ソースネクスト株式会社社長)
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「特打」「驚速」などパソコンソフト累計5000万本、
初の翻訳機「ポケトーク」でシェア95%を実現した
【常識破りの、全ノウハウ】とは?
ソースネクストの創業は23年前。システムエンジニアだった松田社長は、それまで経験のない店頭販売や価格交渉を実戦で鍛えつつ、お客さまの「面白さ」「煩わしさ」をヒントにユニークな製品をつぎつぎ発売してきました。本書では、具体的な製品を挙げながら、それら製品や売り方の着想プロセスを語りつくします!
◆買ってしまう、欲しくなる「売り」の作り方
◆「特打」「驚速」「ポケトーク」などネーミングの秘密
◆明石家さんまさんCM出演の裏側
◆カッコ良すぎると売れない不思議
◆みずから店頭に立つと見えてくる売れる真実
◆ウイルス対策ソフトの更新料をゼロにできる理由
◆儲けている会社ほどお客様の満足度が高いという事実
◆実力がある人が出世できないと、みんなが困る風土
<反響続々!>
・紀伊國屋書店新宿本店 「社会」ジャンル第1位!(2019年12月16~12月22日)
・三省堂書店有楽町店 ビジネス書ランキング第1位!(2019年12月30日~1月5日)
・丸善日本橋店 ビジネス書ランキング第3位!(2019年12月26日~12月31日)
《著者より》
本書は、さまざまな紆余曲折の中で、私たちの生き残りにつながったユニークな製品や仕組みを、どのように考えて作りあげてきたのか、振り返ってまとめました。これからの厳しいビジネス競争をみなさまが生き抜く何かのヒントになれば、と願っています。ただし、これがヒントといえるか心もとない……というのも本音で、私たちが少し変わった会社である(とよく言われる)ことも事実です。こだわることと、とらわれないことのバランスが一風変わっていた、とでもいいましょうか。
たとえば、社長である私自身が、量販店の売り場に立って販売するのは、当社では当たり前でした。むしろ私は、喜んで店頭に立っていたのです。2019年も店頭に立って販売してきました。量販店の法被(はっぴ)を着て立ち、ポケトークの売れ行きについて、お客さまの生の声をうかがうためです。そんな「売れる」現場を大事にしてきたのと同時に、私が強烈にこだわってきたのは、パッケージやネーミングでした。同業他社は開発に鎬(しのぎ)を削っていましたが、お客さまから選んでもらうポイントはまず中身よりも「見た目」にある、と考えたからです。このため、ネーミングやパッケージデザインを担うデザイナーを、創業当初に役員待遇で迎えました。
また、ソフトの世界では、家電量販店等の小売店に製品を置いてもらうときは卸を通すのが常識ですが、私たちはもう15年も前に、卸を離れて小売店との直接取引に踏み出しました。卸を通すと、売り場を自分たちで思うように演出できないうえ、実売データも入ってこないからです。こんなことをした会社は後にも先にも、なんと今この時代ですら、パソコンソフト業界では私たちしかいません。
価格にもこだわりました。パソコンソフトは数千~1万円するのが当たり前だった時代に、それではユーザーは増えないし、販売ルートも限られる、と考えて、価格を一気に下げました。1980円に統一してしまったときには、業界から罵詈雑言(ばりぞうごん)も浴びせられました。それでもひるまず、このとき一気に100タイトルを世に送り出し、多くのお客さまからの支持を得て、同時に競合を完全に振り切ったのでした。
このほか、会社の倒産の危機をからくも脱した直後の2012年からは、社長である私がアメリカのシリコンバレーに移住しています。日本に本社があるのに、社長みずからがアメリカに移住してしまったことで、これまた驚かれました。しかし、この選択は大正解でした。
現地でのすばやい交渉が奏功し、「Dropbox」や「Evernote」などのいわゆるクラウド製品の日本語版販売の権利を取得でき、それも日本式に量販店でパッケージとして売り出したことで大ヒットしました。クラウド製品をダウンロードするのではなく、量販店で手に取りながら、アフターサービスも保証されるパッケージとして売ったことが、業界の、そしてお客さまの度肝を抜くことになったのでした。
こうした取り組みでは、それぞれに学びがありました。そして今、これらすべての経験や仕組みが揃ったおかげで、ソフトウェア会社だった我々が、冒頭紹介したとおり、ハードウェアであるポケトークを大々的に展開することもできています。長年かけて、一つひとつジグソーパズルのピースをはめてきて、すべてそろった感覚に近いかもしれません。さらに、2019年12月には、「ポケトークS」という大きくバージョンアップした次号機を発売します。まさに、人類史上最高の翻訳機です。もちろん、今がゴールではなく、新たなスタート地点に立ったばかり。拙著『売れる力 日本一PCソフトを売り、大ヒット通訳機ポケトークを生んだ発想法』を通じて、私たちが体験してきた経験や教訓が、ビジネスパーソンのみなさまのほんの少しでもお役に立てたら幸いです。