都立「国立高・立川高」、多摩の伝統2校に挑む新興勢力はどこか? 旧制2中の「立川」と多摩地区トップを競う都立高御三家の「国立」

中学受験が盛んな23区と異なり、多摩地区には戦前にルーツを持つ伝統校は多くない。そのため進学校では戦前派と戦後派が競い合っている。一方、都立の新たなエリート校である中高一貫校が年々実力を付け、その人気は高まっている。(ダイヤモンド社教育情報)

三つどもえで競う多摩のトップ校

 旧学区制のときには第7から第10まで4つの学区に分けられた多摩地区だが、学校群の時代には、大きなくくりの中でカップリングされていた。

 72群の立川(旧制2中)と国立(旧制19中)の伝統校コンビが最難関。次いで74群のいずれも中高一貫化した武蔵(旧制13高女)と戦後生まれの三鷹、75群の元は私立校だった府中と神代(旧制15高女)、73群のやはり中高一貫化した北多摩と急速に浮上している昭和といった組み合わせの順になるだろうか。旧学区にどの市町が入っていたかは、後に掲載した表の注意書きをご覧いただきたい。

 23区ではトップ校は例外なく戦前からの伝統校だが、多摩地区では戦後生まれの八王子東(1976年創立)が進学指導重点校として伝統校の立川・国立と伍しているように、伝統校と新興校の実力が拮抗している例が見られる点が興味深い。もっとも、八王子東は最寄り駅が八高線「北八王子」ということもあって、通学しやすい他校に流れる傾向がうかがえる点が気がかりではある。それは後述するように、二番手校でも顕著に表れている。

 ところで、戦後生まれの男子校で、全寮制普通科というユニークな存在の秋川が1965~2001年まであきる野市にあった。元は東京の島しょ部の生徒を想定していたようだが、生徒減少に伴い閉校となっている。秋川の試みは先駆的ではあった。

 いま、全寮制の公立校がちょっとしたブームになっている。鹿児島県立楠隼中学・高校が最初の卒業生32人のうち東大合格者2人を出して全国的な注目を浴びた。広島県では、高校で国際バカロレア・ディプロマプログラム(DP)を採用する県立広島叡智学園中学校・高等学校が2019年に開校するなど、新たな公立進学校のあり方として浮上してきた。