日本では「コーポレートガバナンス」という言葉がほとんど知られていなかった1991年5月、上場企業の取締役の行動規範を定めるために、ロンドン証券取引所、イギリス財務報告評議会、イングランド・ウェールズ公認会計士協会の発案により、「企業財務に関するコーポレートガバナンス委員会」が発足した。この組織は、キャドベリー会長のエイドリアン・キャドベリー卿が委員長を務めたことから、「キャドベリー委員会」と呼ばれた。

 同委員会が出した報告書は、合理性に欠ける経営慣行を指摘するとともに、取締役会にチェック・アンド・バランス機能が健全に働くよう、「取締役の模範行動」「監査役の強化」「経営者報酬の透明化」「社外取締役の選任手続きの見直し」について提言し、上場企業への義務付けを求めた。

 こうした新しい現実を受けて、1994年2月、日本興業銀行(現みずほ銀行)第5代頭取を務めた中村金夫氏の呼びかけで、宮内義彦氏をはじめとする日本の将来を憂う経営者有志が集まり、千葉・舞浜のホテルに泊まり込みで侃々諤々の議論を交わした。これが日本で最初のガバナンス研究機関「日本コーポレート・ガバナンス・フォーラム」(現日本コーポレート・ガバナンス・ネットワーク)のオリジンである。

 正式な発足に先立ち、同年10月、東京・築地の浜離宮朝日ホールで公開フォーラムが開かれ、その基調講演に小説家の城山三郎氏が登壇した。演題は「私の知った経営者たち」。その中で、東京急行電鉄(現東急グループ)の五島昇について触れ、彼の後ろには「ゲンコツ付きの金屏風」があったと言う。

 それは、第一生命社長を務め、東芝を再建させた経団連第2代会長の石坂泰三、日経連常任理事、経団連理事、経済同友会幹事を歴任した産経新聞社長の水野成夫(しげお)、当時「財界四天王」と呼ばれた大物の一人で国策パルプ会長の小林中(あたる)の3人のことであり、ゲンコツ付きとは、何かあると遠慮会釈なく叱咤や諫言が飛んでくるからだ。

 そして城山氏は、こういう社外のご意見番こそ社外取締役にふさわしいと述べた。実際、こうした「物申す取締役」こそコーポレートガバナンスの要であり、いままさに期待されている役割である。

 宮内氏は、先の日本コーポレート・ガバナンス・フォーラムの発足に尽力する一方で、2001年12月、ガバナンス改革を通じて日本企業の成長を目指す「日本取締役協会」を立ち上げた。四半世紀にわたり、日本産業界のコーポレートガバナンスについて考え続け、さまざまな提言を行ってきた宮内氏に、その課題とあるべき姿を聞く。

多数による専制を許さないのが
よい民主主義

編集部(以下青文字):まだ記憶に新しい話ですが、アスクルとその筆頭株主であるヤフーが、両社の協業による個人向けネット通販のLOHACO(ロハコ)をめぐって対立し、ついには支配的株主であるヤフーは、アスクル創業者で社長兼CEOの岩田彰一郎氏と独立社外取締役3人を退任に追い込みました。宮内さんが会長を務める日本取締役協会は、アスクルの株主総会の3日前に緊急意見を出し、親会社であるヤフーの行動に異議を唱えました。

日本のコーポレートガバナンス<br />その未来を考える 【前編】
オリックス シニア・チェアマン /日本取締役協会 会長
宮内 義彦 
YOSHIHIKO MIYAUCHI
オリックス シニア・チェアマン、一般社団法人日本取締役協会会長。1958年、関西学院大学商学部卒業。ワシントン大学経営学部大学院修士課程修了(MBA)。日綿實業(現双日)に入社し、オリエント・リース(現オリックス)設立準備事務所を経て、1964年4月、オリエント・リース入社。1970年3月に取締役、1980年12月、代表取締役社長兼グループCEOに就任。その後、代表取締役会長兼グループCEOを務め、2014年6月に会長兼グループCEOを退任し、現職。また、ACCESS(2006年4月~)、三菱UFJ証券ホールディングス(2015年6月~)、カルビー(2017年6月~)の社外取締役を務める。著書に、『リースの知識』(日経文庫、1970年)、『経営論』(東洋経済新報社、2001年)、『多士菜々』(PHP研究所、2004年)、『世界は動く 今日は新しい日だ』(PHP研究所、2012年)、『“明日”を追う』(日本経済新聞出版社、2014年)、『グッドリスクをとりなさい!』(プレジデント社、2014年)、『私の経営論』(日経BP、2016年)、『私の中小企業論』(日経BP、2017年)、『私のリーダー論』(日経BP、2018年)がある。

宮内(以下略):アスクルとその株式を過半数近く有するヤフーは、ともに上場企業であり、いわゆる親子上場です。この一件は、親・子のどちらが正しいとか間違っているといった話ではなく、親子上場にまつわる制度上の不備があぶり出された、というのが私たちの認識です。事の本質を突き詰めて整理し、これを機に制度の見直しが進んでほしいと考え、緊急意見を出しました(図表「日本取締役協会による緊急意見のポイント」を参照)。

 親子上場の最大の問題は、子会社のその他一般株主の権利が脅かされる点です。たとえば、支配的株主である親会社が自分たちの利益を優先することで、子会社の企業価値が犠牲にされるおそれがあります。こうした子会社の一般株主と親会社との間の利益相反については、日産自動車とルノーの問題でも指摘されましたが、今回の件で私たちがとりわけ重大視したのは、独立社外取締役全員が不再任とされたことです。

 その結果、アスクルには、東京証券取引所のコーポレートガバナンス・コードが求める独立社外取締役が一人もいないという事態が生じました。また、社外取締役を置かない場合、その理由を説明しなければならないという会社法上の義務も果たされていません。少数株主の権利を守る砦となるはずの独立社外取締役を、支配的株主がこのように簡単に解任できるのであれば、企業のガバナンス構造が根底から揺らいでしまいます。

 そもそも親子上場は、日本以外の国ではあまり見られません。アメリカ、イギリス、ドイツなどの国では、支配的株主は少数株主を保護するための法的義務を負わなければならない仕組みがあり、親会社の横暴は許されません。要するに、子会社を上場させるメリットが乏しいのです。かたや日本では、少数株主の権利があまりにも軽んじられています。早急に制度の点検と見直しが求められます。