カルロス・ゴーンPhoto:Reuters

――筆者のホルマン・ジェンキンス・ジュニアはWSJ論説委員で「ビジネスワールド」欄担当コラムニスト

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 逃亡者になる場合、理由は2つに分かれる。正義が下されることを恐れるか、正義が下されないことを恐れるかのどちらかだ。本コラムでこの文言を最初に使用したのは、カルロス・ゴーンではなく、ジェイコブ(コビ)・アレクサンダーに関してだった。アレクサンダーは、ストックオプション(自社株購入権)の権利付与日を操作する「バックデート」で起訴されるのを避けるため、2006年にナミビアに逃亡した元IT(情報技術)企業の最高経営責任者(CEO)だ。

 興味深いのは、当然ながら完全に無実の人物のケースではない。何らかの罪はあるかもしれないが、容疑がかけられた不正行為に見合わない重い裁きを受けることを恐れる人物のケースだ。結局のところ、後に著名弁護士がニューヨーク・タイムズ紙に説明したところによると、バックデート操作を巡る「訴追は、予期していたほど厳しいものではなかった」。少なくとも判事や陪審員は、過熱報道で犯罪の性質が誇張されているとみなすようになっていたためだという。

 アレクサンダーは最終的に逃避先のナミビアから米国に戻り、自主的に正当な裁きを受けて刑期(訳注:30カ月の禁錮刑)を務めた。全てを考慮すれば、自らの逃亡は悪い決断だったと考えているのではないか。

 この事件はゴーンを想起させる。より友好的な国の法律の下に身を置くために逃亡したゴーンは、偽のひげを付けて潜伏している逃亡者とは立場が多少異なる。政治的に注目度の高い逃亡者の場合、別の配慮が働く場合もある。ゴーンの逃亡は、全く歓迎されていないというわけではない。「日産に近い」人物はウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)に対し、日産は(訴訟を)やめたいと思っていたと語っている。日本では新年は厄払いの機会とされており、その意味でゴーンの逃亡は新年にうってつけの筋書きだったという。