ホーチミンPhoto:ullstein bild/gettyimages

――筆者のトッド・リンドバーグ氏は米ハドソン研究所のシニアフェロー

 米国は1970年代、2つの大きな屈辱にまみれた。1975年にサイゴンが共産主義の北ベトナムの手に落ちたこと、そして1979年にイランの首都テヘランで米国大使館が占拠されたことだ。後者の事件では、米国人52人が444日間にわたり人質となった。ドナルド・トランプ米大統領は、イランがガセム・ソレイマニ司令官殺害への報復措置に出た場合、イラン国内52カ所に攻撃を与えるとしていたが、この数字の源となったのが大使館人質事件だ。

 イランには、ベトナムから学べる教訓がある。ベトナムは今も一党独裁を続けており、サイゴンは正式にはホーチミン市として知られているが、その名前は共産主義革命家ホー・チ・ミン氏から取ったものだ。ベトナム政府は反体制派に対する拷問や処刑を行っている。米国の国際人権団体フリーダムハウスの自由度ランキングでベトナムは100点満点で20点にとどまり、イランの18点をわずかに上回るに過ぎない。

 それでも、米国はベトナムと良好な関係にある。ベトナムは1986年に自国を市場経済に開放することを決め、それ以降、世界で最も急成長を遂げている国の1つとなっている。1994年には2国間関係改善の幅広い取り組みの一環として、ビル・クリントン大統領が、1964年から続いていた貿易禁止を撤廃した。さらに翌1995年に国交を完全に回復させた。

 2018年までに、米・ベトナムの物とサービスを合わせた貿易額は年間620億ドル(約6兆8250億円)超となった。両国間ではベトナムの貿易黒字額は380億ドルと、トランプ氏の批判の矛先が向いてもおかしくないほど大きい。米国はまた、旧敵ベトナムとの間で、沿岸警備など安全保障での協力関係も築いている。ベトナムは安全保障援助として、米国務省および国防総省から多額の資金を受け取ってきた。2018年にはベトナム戦争終結以来、初めて米空母カール・ビンソンがダナンに寄港した。