シュンペーターが企業者の「相似性」として『経済発展の理論』で一言だけ例示した「ジョン・ローと12世紀のベネチアの商事企業家」について、前回はジョン・ローの革新性について調べてみた。今回はヴェネツィアの「商事企業家」を探索しよう。

 12世紀の商事企業家、とシュンペーターは書いている。12世紀のヴェネツィアに企業家がいたのだろうか。

海洋貿易国家として繁栄した
ヴェネツィア

 現在のヴェネツィアはイタリアの観光都市だが、18世紀末にナポレオンが支配するまで1000年以上も続いた共和国である。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に従属しつつ、中世欧州に高度な独立共和国を築いたヴェネツィアについては、多くの文学や絵画によって伝えられている。

 黄金の国ジパング(日本)の情報を欧州に伝えたマルコ・ポーロ(1254-1324)もヴェネツィアの商家出身であり、13世紀にユーラシア大陸を横断し、中国でジパングの情報を仕入れたといわれている。ヴェネツィアへの帰還は海路により、マラッカ海峡からインド洋を経てアラビア半島にいたる通商路に沿って移動している。

 12世紀の企業家とは、マルコ・ポーロより100年前のことだが、ポーロ家のようなヴェネツィア商人のことだろうか。

 ヴェネツィアにはドージェ(元首)が君臨し、ドージェはビザンツ帝国(首都コンスタンチン=現在のイスタンブール)から承認されていた。初期ヴェネツィアのドージェは絶対権力者だった。

 ヴェネツィアは中世を通してビザンツ帝国、オスマントルコ帝国、神聖ローマ帝国(ハプスブルク帝国)の結節点に存在した海洋貿易国家として繁栄した。東地中海沿岸を支配し、大艦隊を擁してオリエント、アジアから胡椒、香辛料、コーヒー、お茶、絹織物などを欧州に持ち込み、巨万の冨を得る。欧州からは「木材をはじめとするヨーロッパの産物を売りさばいた」(※注1)という。

 斜陽が始まったのは15世紀、アメリカ大陸の発見によって、経済の要路が地中海から大西洋へ移動していくことによるが、1000年におよぶヴェネツィアの歴史は、技術と交易によって支えられていたのである。最盛期は11世紀から15世紀だった。

 「11世紀からの二世紀間にビザンツ帝国に対して優勢に立ったヴェネツィアは、通商・領土上のさまざまな譲歩を帝国に認めさせ、第4次十字軍遠征時にはコンスタンチノープル(筆者注・現在のイスタンブール)を制服するにいたった(1204)。」「ビザンツ帝国を分割したヴェネツィアは、地中海東部に基地や領土を得、財力と権力を高めた」と、ヴェネツィア出身のジャーナリスト、ルカ・コルフェライは書いている(※注2)。