いわゆるひとつの「有識者」の声を集計した「よい会社ランキング」というのがあるが、これはあまり意味がないのではないかという話を前回した。

 「よい会社」の尺度といっても多種多様なものがある。非反応的な尺度(反応的尺度と非反応的な尺度の違いについては前回を参照)であれば、「利益(率)」(一瞬ボロ儲けした、というのではなくて、あくまでも長期スパンで見たときの持続的な利益)が尺度としていちばん真っ当だというのが僕の見解だ(これについても前回参照)

誰に聞くか

 反応的な尺度を使った意識調査(サーベイ)にしても、いくつもの物差しがありうる。反応的尺度の場合、いちばん問題となるのは「誰の声を聞くか」。ここでは主要なステイクホルダーに注目して、とりあえず「社会」「顧客」「株主」「従業員」の4つを考える。

 まずは「社会」。企業は社会的な存在だ。社会にとって「よい会社」であるにこしたことはない。ところが、「社会の声」に基づいてランキングをつくるとしたら、不特定多数の対象者の声を集計するという「世論調査」にならざるを得ない。

 いうまでもなく、これでは「よい会社」の尺度として意味がない。回答者は数多くある会社の内容についていちいち知識や情報を持ち合わせているわけではない。以前、これから就職しようとする大学生を対象に聞いた「就職人気企業ランキング」について、「ラーメンを食べたことがない人に聞く人気ラーメン店ランキング」のようなものだと悪口を言ったが(記事参照)、「社会の声」はさらに茫漠としている。

 前回話した「有識者の声」。ま、有識者も社会の構成員なので、ステイクホルダーとしては広い意味での「社会」に入る。「有識者」は不特定多数の人々よりも知識や情報は持ち合わせている(ただし、前回指摘したように、有識者といってもよっぽどヘンな人でない限り、対象となる企業のすべてについて等しく評価するに十分な知識を有しているわけではない)。それにしても、世論調査と比べて多少はマシな程度で、五十歩百歩だ(全然関係ない話だが、こういうふうに「同じようなもの」という意味で、なぜ「五十歩百歩」というのかが気になっていた。50と100では倍も違う。で、いまこの成句の成り立ちを調べた。で、納得した。なるほどね……。自分の無教養を恥じる。気になる方は各自調べてみましょう。でも、そうだったら「二歩百歩」とか言った方がもっとインパクトがあると思う)。