商社#6Photo:erhui1979/gettyimages

商社業界で「背番号」と呼ばれる最初の配属先は、将来の出世を左右する重要な関心事だ。だが今の会社の主力部署に配属されたからといって決して安泰ではいられない。かつての花形部門が衰退し、逆に傍流部門の出身者が社内権力を握る栄枯盛衰の歴史を、商社は繰り返しているからだ。特集『最後の旧来型エリート 商社』(全13回)の#6では、商社内部の出世事情を紹介する。(ダイヤモンド編集部 重石岳史)

鉄鋼部門の繁栄の礎を築いた
住友商事の“伝説の商社マン”

「50代で筋骨隆々、髪の毛も派手に染めていた。女性社員にモテたし、社内で知らない人はいない有名人だった」

 住友商事OBがそう振り返る人物は、1987年に56歳の若さで病に倒れた当時の同社常務業務本部長、鈴木朗夫氏だ。

「抜群の企画力、折衝力、語学力はやがて『住商に鈴木あり』との評価を国内外で勝ち得た」と社長(当時)の伊藤正氏に言わしめ、総合商社業界で史上最年少の役員に抜てきされた“伝説の商社マン”である。

 遅刻の常習者で、高度経済成長期にはやった「モーレツビジネスマン」を「社畜」と呼んで軽蔑した鈴木氏は、住友の精神でもある「逆命利君(命に逆らいて君を利する)」の体現者でもあった。上司にこびることなく苦言を呈し、一方で所属した鋼材貿易部門では鉄鋼製品を海外に売りまくり、財閥系商社で最後発だった住商の躍進の原動力となった。

 その鈴木氏を「懐刀」として重用したのが伊藤氏である。鈴木氏が20代の頃から上司・部下の関係で、伊藤氏が米国住友商事社長に出世すると、鈴木氏は米国住商調査開発室長として赴任。米経済誌「フォーチュン」掲載の大企業500社全てにコンタクトを取って商談を始めるなどし、米国での取引を急拡大させたという。