取引費用理論(TCE)は「なぜ企業が存在するか」を説明する
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サマリー:第34回から引き続き、取引費用理論(TCE)を解説していく。従来の古典的な経済学では、「市場には無数の小さい生産者(企業)が存在する」と仮定されていた。すなわち古典的な経済学では企業の大きさは概念上「ゼロ... もっと見る」であり、「なぜ企業が存在するか」が説明できなかった。一方TCEは、「市場の対極にいるのが、企業である」と主張し、企業の存在意義を説明するのである。本稿は『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社、2019年)の一部を抜粋し、紹介したものである。 閉じる

──前々回の記事:将来の見通しが立たない時、ビジネスの「取引」にどう対処するか(連載第34回)
──前回の記事:ビジネス取引で足元を見られる「ホールドアップ問題」を引き起こすもの(連載第35回)

取引費用理論(TCE)の目的とは

 取引費用理論(TCE)の目的は「ビジネス取引における最適な取引形態・ガバナンスを見いだすこと」にあった。ここで言うガバナンスとは、第一義には「市場取引か、企業への内部化か」の選択のことである。その判断に重要なのが市場での取引コストなのだ。

 もちろんビジネスでは、人件費・製造原価のような実際の「製造コスト」も重要だ。米企業がコールセンターをインドに外注するのは英語が話せて人件費が安い労働者が多くいるからだし、日本メーカーがアジア企業に製造を外注するのも似たような理由からだ。

 他方で、そのような市場ベースの取引には、実は取引コストが多大にかかっている可能性がある。先の3条件(不測事態の予測困難性、取引の複雑性、資産特殊性。詳細は前回を参照)が高ければ、取引コストは製造原価の安さを相殺する以上にもなりうる。企業はそのバランスの中で「外注か・内製か」の最適な判断をすべき、ということなのだ。

 そしてさらに、この議論を突き詰めると、TCEは「企業とは何か」ということまでを説明できる。図表3を見ていただきたい。バリューチェーン上において、企業には自社内で取り込む(内部化する)部分と、外部から調達したり顧客に売ったりする市場取引の部分がある。この内部化された部分が、TCEで説明する「企業の範囲」になる。

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図表3

 例えば、もし外注によって市場取引している図表3の「調達」部分の取引コストが、外注による原価減少等のメリットよりも大きい(外部化による取引コスト>外部化による原価減のメリット)なら、その「調達」部分は企業に内部化した方が効率がいいことになる。この場合、「企業の範囲」は川上方向に伸びる(川上への垂直統合)。もしその逆(外部化による取引コスト<外部化の原価減のメリット)なら、外注したままの方が効率がよいので、企業の範囲は変わらない。

 このようにTCEの視点からは、「企業の存在とは、市場における取引コストが高い部分を内部に取り込んだもの」となるのだ。この視点を提示したのが、ロナルド・コースだ。彼が1937年に発表した“The Nature of the Firm”という論文は、現代の経済学・経営学ではあまりにも有名である。

 従来の古典的な経済学、例えば本書『世界標準の経営理論』第2章で紹介した完全競争では、「市場には無数の小さい生産者(企業)が存在する」と仮定されていた。すなわち古典的な経済学では企業の大きさは概念上「ゼロ」であり、したがって、そもそも「なぜ企業が存在するか」が説明できない。

 それに対して取引コストという概念を導入したTCEは、「市場の対極にいるのが、企業である」と主張したのである。なお、TCEではこの市場の対極の概念のことをハイラーキー(あるいはヒエラルキー)と呼ぶ。本稿でも以降はハイラーキーという表現を使っていく。

図表4
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 図表4は、TCEを応用した経営学研究の主要トピックをまとめ、代表的な実証研究をそれぞれ2~4本ずつだけ紹介したものだ。冒頭でも述べたようにTCEの応用範囲はあまりにも広く、この図表だけではとうていすべてをまとめ切れない。逆に言えば、TCEは現実への応用可能性が非常に広く大きい。ぜひ皆さんの「思考の軸」として活用していただきたい。

【動画で見る入山章栄の『世界標準の経営理論』】
取引費用理論(TCE)
エージェンシー理論
松下幸之助が決断で「勘を重視」した経営学的理由、結果を出す意思決定の3大要素とは

【著作紹介】

『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社)

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