天才数学者たちの知性の煌めき、絵画や音楽などの背景にある芸術性、AIやビッグデータを支える有用性…。とても美しくて、あまりにも深遠で、ものすごく役に立つ学問である数学の魅力を、身近な話題を導入に、語りかけるような文章、丁寧な説明で解き明かす数学エッセイ『とてつもない数学』が6月4日に発刊された。

教育系YouTuberヨビノリたくみ氏から「色々な角度から『数学の美しさ』を実感できる一冊!!」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。連載のバックナンバーはこちらから。

インドの数学者ラマヌジャンの「驚異のひらめき」Photo: Adobe Stock

天才は突如現れた

 かつてイギリスの物理学者アイザック・ニュートンは、その素晴らしい業績を称賛されたとき「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです」と語った。大科学者らしい謙虚な言葉である。ただ、ニュートン力学を支える物体の運動に関する物理法則発見の歴史をひも解いてみると、これは彼の本心だったのだろうという気もしてくる。

 ニコラウス・コペルニクス(1473~1543)、ガリレオ・ガリレイ、ヨハネス・ケプラー(1571~1630)、クリスティアーン・ホイヘンス(1629~1695)といった負けず劣らずの「巨人」たちと、歴史に埋もれた名もなき物理学者たちが「宇宙の真理を解き明かそう」と強い信念でバトンを繋いだからこそ、ニュートンは「ニュートン力学」と呼ばれる古典物理の金字塔を打ち立てることができたのだと思う。

 アインシュタインの相対性理論も、アインシュタインがいなくても10~20年以内に他の誰かが発見しただろうと言われている。なぜなら、自然の摂理の発見にはある種の論理的もしくは歴史的な必然があるからだ。

 しかし、「インドの魔術師」と呼ばれたシュリニヴァーサ・ラマヌジャン(1887~1920)が発見したおびただしい数の公式群には、必然性が見えない。それらはラマヌジャンがいなければ、今もなお未発見のままだったかもしれないのだ。

 ラマヌジャンは、1887年に南インドの田舎村エロードにある母の実家で生まれた。父親はクンバコナムという町の布地商の会社で帳簿係として働いていた。母親は賢く教養があり、何より信心深い女性で、家では祈祷会を催すほどだった。ラマヌジャンの家は正統的なバラモン(ヒンドゥー教における身分制度〔カースト〕の最上位)であったから、バラモンとしての誇りと、肉だけでなく魚も卵も口にしない厳しい菜食主義をたたきこまれた。

 幼い頃から学業に非凡な才能を見せたラマヌジャンは、13歳になる頃には大学生が使う三角法や微積分の教科書の内容をマスターしていたという。