打ち寄せるコーポレートガバナンス改革の波は、いっこうに凪ぐ気配はなく、企業の「改革疲れ」が懸念される。すなわち、ガバナンス体制を強化し、投資家との対話に努めても、成長につながる実感が乏しい──。しかも、ルールやコードの遵守が目的化しつつあり、それでは本末転倒というものだ。お仕着せの改革に振り回されないためには、自社にとって最適なガバナンスとは何か、いかに中長期的な成長を実現していくのかを、あらためて問い直す必要がある。その起点となるのが、古くて新しい課題の一つ、「資本コスト」である。

ROE論争を超えて

編集部(以下青文字):社外取締役の設置を義務付ける改正会社法が成立し、近い将来、スチュワードシップ・コード(SSコード)やコーポレートガバナンス・コード(CGコード)の改訂も見込まれています。

ガバナンス改革は<br />資本コスト経営から始まる
KPMGコンサルティング パートナー KPMGジャパン コーポレートガバナンス・センター・オブ・エクセレンス
林 拓矢 TAKUYA HAYASHI
KPMGコンサルティングのパートナー、ならびにKPMGジャパンのコーポレートガバナンス・センター・オブ・エクセレンス(取締役会、リスクマネジメント担当)とボード・アドバイザリー・サービス担当パートナー。京都大学経済学部卒業後、国内大手損害保険会社に入社。海外支店・現地法人の経理指導等に4年間従事し、その後情報システム部門のコスト管理・投資管理業務等に4年間従事。2002年、朝日監査法人(現有限責任あずさ監査法人)入所。2014年4月よりKPMGコンサルティングに勤務。主にコーポレートガバナンス、リスクマネジメント、コンプライアンス、内部監査に関するアドバイザリー業務に多数従事。

林:コーポレートガバナンス改革の第一義は、言うまでもなく企業価値の向上です。取締役会の人数や比率に関する議論があちこちで聞こえますが、それはガバナンスの質を高める方法の話であって、やはり中長期的かつ持続的な成長が改革の目的です。

土屋:企業価値の向上は、資本コストを上回るリターンが生み出されて、初めて実現されます。翻すと、資本コストをクリアできない事業は、利益が出ていても企業価値に貢献しておらず、むしろ蝕んでいることになります。ですから、経営陣と取締役会が資本コストを意識するのは当然のことです。

 関連して、ROE(自己資本利益率)を目標に掲げる企業が増えてきましたが、業種はもとより、市場やビジネスモデルによってリスクが異なれば、投資家が求めるROEは必ずしも一律ではありません。また、配当や自社株買いを通じて自己資本を減らせば、本業で頑張らなくてもROEの値は改善します。よって、ROIC(投下資本利益率)を併用するなどして、本当の「稼ぐ力」を把握する必要があります。

 関連して、資本効率の向上と成長のさらなる拡大という株主の求めから、日本企業のM&A投資総額は高い水準で推移していますが、M&Aによって利益は増えても、必ずしもキャッシュフローが上がらない投資が増えています。キャッシュフローが上がらなければ、再投資にも回せなければ、株主にも還元できない。

 投資家へのアカウンタビリティ(業績に関する説明責任)を果たすには、やはり事業戦略やその遂行に伴うリスクを財務戦略としていかに支えるのか、事業ポートフォリオをどのように評価するのかといった議論を、資本コストを踏まえて行うことが、経営陣と取締役会には不可欠です。

資本コストは
経営者の必修科目

 CFOはともかく、経理・財務業務の経験のないCEOや他の執行役員、社外取締役は、資本コストについて理解に乏しく、また関心も高いとはいえません。

ガバナンス改革は<br />資本コスト経営から始まる
あずさ監査法人 アドバイザリー本部 グローバル財務マネジメント ディレクター KPMGジャパン コーポレートガバナンス・センター・オブ・エクセレンス 
土屋 大輔
DAISUKE TSUCHIYA
有限責任あずさ監査法人アドバイザリー本部グローバル財務マネジメントのディレクター、ならびにKPMGジャパンのコーポレートガバナンス・センター・オブ・エクセレンスのメンバー。1999年に東海銀行(現三菱UFJ銀行)入行。2001年にアイ・アール ジャパンへ転じ、2013年に同社取締役IR・SRコンサルティング本部長に就任。2015年よりKPMG/あずさ監査法人にて財務戦略や財務ガバナンスに関するアドバイザリーに従事。資本生産性指標(ROIC等)の活用や最適資本構成、格付け戦略、投資家との対話戦略(ESGリスク対応を含む)等に関するアドバイスを提供。経済同友会「資本効率の最適化委員会」ワーキンググループメンバー(2016~2017年)。主要な共著に『ROIC経営 稼ぐ力の創造と戦略的対話』(日本経済新聞出版社、2017年)がある。

土屋:執行役員の大半の方々が現場出身で、売上げ、コスト、利益といったPLの視点で事業を回してきたことが影響しています。ですから、営業利益が出ていれば合格点である、という考え方が習い性になっています。

 しかし、資本コストを意識する経営には、たとえば投資の収益性、資産の効率性といったBSの視点に加えて、キャッシュフローの視点が欠かせません。これらの視点が抜け落ちていると、「黒字不採算」事業からの撤退など、本質的な意味で企業価値に資する議論がなおざりにされやすい。これは、事業ポートフォリオの最適化を求める投資家の期待に背くだけでなく、企業価値の向上、中長期的な成長というガバナンスの目的にも反するものです。

 そうならないためにも、経営陣と取締役会のメンバーに一定水準の財務リテラシーが求められるのは、言うまでもありません。

林:現場を預かる事業責任者たちにすれば、事業の収益責任を問われることはあっても、投資の意思決定についてはさほど大きな権限も責任も持たされていない中で、資本コストを意識しろと言われてもピンとこないかもしれません。ですが、全社で資本コスト経営が求められる現状では、いまや経営陣にとって資本コストは必修科目なのです。

 加えて、中長期的な視座の下、取締役会が事業ポートフォリオや成長戦略などについて、冷静に議論できるような体制が求められています。