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  障がい者に働く場を用意し、彼らの社会参加を大きく後押しした産業人というと、古くは渋澤栄一であり、戦後では、「オムロン太陽の家」を設立したオムロン創業者の立石一真、これに共鳴したソニー創業者の井深大らが知られているが、もう一人、忘れてならない人物がいる。宅急便という画期的なサービスを発明した小倉昌男である。彼は、善意と優しさで運営されていた障がい者が働く職場に「経営」を導入し、彼らに正当な報酬といっそうの働きがい、そして何より「働く喜び」をもたらした。本稿では、沼上幹著『小倉昌男』(PHP研究所)「第1部 第Ⅵ章 長いお別れ|5 新たな課題への挑戦:ヤマト福祉財団」をインタビュー形式に翻案し、小倉昌男のもう一つのイノベーションのみならず、産業人の社会的使命について、あらためて考察する。​

宅急便の発明者が、なぜ「障がい者支援」に挑戦したのか

編集部(以下青文字):小倉昌男氏といえば、「宅急便」という世界初のイノベーションを発明し、ヤマト運輸(現ヤマトホールディングス)の中興の祖と評価されています。

小倉昌男のもう一つのイノベーション<br />福祉の世界に「経営」を導入し、<br />障がい者に「働く喜び」を与える
一橋大学 副学長|経営管理研究科 教授|森有礼高等教育国際流動化機構 機構長
沼上 幹 
TSUYOSHI NUMAGAMI
一橋大学副学長、一橋大学大学院経営管理研究科教授。組織学会第9代会長(2013年10月~2015年8月)。1983年、一橋大学社会学部卒業。1985年、同大学大学院商学研究科修士課程修了。1988年、同大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得退学。商学博士。2000年、同大学大学院商学研究科教授、2011年、商学研究科長・商学部長。2014年、国立大学法人一橋大学理事、ならびに同大学・副学長に就任。2018年、同大学大学院経営管理研究科教授。主な著書に、『液晶ディスプレイの技術革新史』(白桃書房、1999年 *日経・経済図書文化賞ならびに毎日新聞社エコノミスト賞を受賞)、『行為の経営学』(白桃書房、2000年)、『わかりやすいマーケティング戦略』(有斐閣、2000年)、『組織戦略の考え方』(ちくま新書、2003年)、『組織デザイン』(日経文庫、2004年)、『わかりやすいマーケティング戦略 新版』(有斐閣アルマ、2008年)、『経営戦略の思考法』(日本経済新聞出版社、2009年)、『ゼロからの経営戦略』(ミネルヴァ書房、2016年)、『小倉昌男』(PHP研究所、2018年 *企業家研究フォーラム賞受賞)がある。共著に、『事業創造のダイナミクス』(白桃書房、1989年)、『創造するミドル』(有斐閣、1994年)、『企業とガバナンス』(有斐閣、2005年)、『戦略とイノベーション』(有斐閣、2005年)、『企業と環境』(有斐閣、2005年)、『組織とコーディネーション』(有斐閣、2006年)、『組織能力・知識・人材』(有斐閣、2006年)、『ビジネススクール流「知的武装講座」(Part3)』(プレジデント社、2006年)、『組織の“重さ”』(日本経済新聞出版社、2007年)、『現代の経営理論』(有斐閣、2008年)、『企業戦略白書 Ⅷ』(東洋経済新報社、2009年)、『企業戦略白書 Ⅸ』(東洋経済新報社、2010年)、『戦略分析ケースブック』(東洋経済新報社、2011年)、『戦略分析ケースブックVol.2』(東洋経済新報社、2012年)、『戦略分析ケースブックVol.3』(東洋経済新報社、2013年)、『一橋MBA戦略ケースブック』(東洋経済新報社、2015年)、『市場戦略の読み解き方』(東洋経済新報社、2017年)、『一橋MBAケースブック【戦略転換編】』(東洋経済新報社、2018年)、『一橋MBAケースブック【事業創造編】』(東洋経済新報社、2020年、加藤俊彦と共編)がある。

沼上(以下略):もう一つのイノベーションは、障がい者の支援や社会参加という領域に「経営」というコンセプトを持ち込んだことです。とはいえ、宅急便というイノベーションに比べると、あまり知られていません。

 しかし、本人が「福祉の分野でも『障害者は低賃金でもやむをえない』という固定観念を打破したい。それが経営者としての意地であり、ロマンだと思っている」と述べているように、福祉の世界における従来の常識と真っ向から対立する新機軸を打ち出し、一定の効果を上げてきたという意味で、これもまたイノベーションといえるでしょう。

 実際、障がい者の支援や社会参加という領域に経営というコンセプトを持ち込み、障がい者に自立できる賃金を支払えるようにしようという運動は、社会的なインパクトの大きい仕事だったと評価すべきものです。

 小倉さんは、1995年に2度目の会長職から退いてからは、ヤマト福祉財団の理事長として、その仕事にみずからのエネルギーを注ぐようになります。ちなみに、このヤマト福祉財団は1993年9月に設立され、小倉さんが初代理事長に就任したのですが、ヤマト運輸の現場における交通事故隠し問題に端を発する組織改革のために、もう一度会長に復帰したため、障がい者支援に本格的に取り組むようになったのは、会長職を退いた1995年からでした。

 詳しくは後述しますが、小倉さんは、障がい者が働く共同作業所を見学し、彼らが月額1万円で働いていることを知り、驚愕します。月給1万円の理由は、共同作業所の経営にありました。当時、この共同作業所は、彼らを助けたいという志の持ち主たちのボランティア精神によって運営されていました。そして、こうしたボランティア精神にあふれ、障がい者雇用という社会正義に突き動かされた人たちには、経営という考え方は馴染まなかった。

 経営という表現は少々きれいすぎるかもしれません。誤解を恐れずに、またやや過激な言い方をするならば、小倉さんは、障がい者福祉の世界に「利潤の追求」あるいは「金儲け」という考え方を導入し、それを説いて回り、実践して見せたのです。

 障がい者福祉の仕事に従事している人たちは、何とかして障がい者のためになるようにと、真摯に努力していました。しかし、その「障がい者のため」という意識が、共同作業所を内向きにしており、外部から価値を認めてもらえる製品づくりから遠ざける結果を招いていました。

 障がい者の自立に貢献するには、実は目を外に向け、経済システムの中に共同作業所を位置付ける必要があったのです。お客さんたちが、たとえばバザーなどで慈悲の心から購入するのではなく、実際にお金を支払って買いたいと思うものを考え、それを生産し、十分な対価を得て、その結果として障がい者は自立できる給料を得られる、そのように方向付ける必要がある、というのが小倉さんの考えでした。言い換えれば、利潤を追求することで十分な給料を支払い、障がい者たちもその給料で税金を支払い、社会に貢献しているという実感を味わえるようにするという考え方です。

 一般的には当たり前ですが、一筋縄ではいかなかったと仄聞しています。

 そうです。当時、障がい者福祉に携わる人たちは、利潤を動機とすることに背を向けていました。つまり、お金儲けは「悪いこと」であり、経済とは「弱肉強食」がルールであり、障がい者の利益を阻害することはあっても、プラスになることはない、というのが当時の「常識」だったのです。

 そこで、小倉さんはこのような意識や常識を変えようと、1996年から「共同作業所パワーアップセミナー」を開催します。そのセミナーの冒頭で、挑発的に次のように語りました。

 「みなさんがたは、障害者のために小規模作業所をつくり、献身的に仕事をしている。しかし、そこで働いている障害者は月に1万円以下しかもらっていません。逆に言うと、みなさんは1万円以下しか障害者に給料を払っていない。それでいいんですか。見方を変えたら搾取といわれてもしようがないでしょう。(中略)月給1万円以下で働かせていたら、障害者を飯の種にしているといわれてもしようがないのです。その問題を放っておいたら、いいことをやっているのではなく、悪いことをやっていることになりますよ」

 もちろんセミナーの参加者全員が素晴らしい人たちであることは十分承知しながらも、このように毒付いたのは、参加者たちに意識改革を促すためである。その後に続くレクチャーでは、経営リテラシーを伝えるだけでなく、基本的には経済とはどういう仕組みになっており、利潤の追求や競争はけっして悪ではないことを訴えました。