上馬キリスト教会」というツイッターアカウントをご存じだろうか。
 名前から、教会の情報発信をこぢんまりと行っている……と思ったら大間違い。実際は、「『アーメン』を現代語訳すると『それな』、関西弁訳なら『せやな』ではなく『ほんまそれ』」といった、キリスト教を面白く伝えるツイートを連発する人気アカウントなのだ。
“中の人”は「まじめ担当」と「ふざけ担当」の二人組。牧師や司祭ではなく、この教会に通うふつうのキリスト教徒だ。日本ではタブー視されがちな「宗教」を面白く伝えるつぶやきがたちまち話題となり、NHKニュースなどの各種メディアで紹介された。フォロワー数はうなぎ上りに増え、今や10万を超える。
 そんなアカウントの“中の人”の「まじめ担当」が「キリスト教の入門書ですら敬遠してしまう、超入門者」に向けて書いたのが『上馬キリスト教会ツイッター部の キリスト教って、何なんだ? 本格的すぎる入門書には尻込みしてしまう人のための超入門書』(MARO著)だ。現代の必須教養であるキリスト教について、基本知識からクリスチャンの考え方、聖書の大まかな内容にいたるまでを1冊で網羅した。
 本稿では、特別に本書から一部を抜粋・再編集して紹介する。

PDCAサイクルは大事だけど、しんどい

 この記事を読んでいる方の中には「PDCAサイクル」という言葉をご存じの方も多いかと思いますし、日々お仕事や学業、スポーツなどで実践なさっている方も多いのではないでしょうか。

 PDCAとは「Plan=計画」「Do=実行」「Check=評価」「Action=改善」の略。

 何か目標を達成するためには、計画→実行→評価(反省)→改善→そしてまた計画……と、このPDCAをくり返していくことが必要である、という考え方が「PDCAサイクル」です。

 この考え方は非常に合理的かつ実践的で、現代では「社会人には必須のマインドセット」と言っても過言ではありません。これなしに現代社会は回らない、とさえ言えます。

 ……と言うと、なんだか難しくも聞こえますが、昔ながらの言葉にすれば「試行錯誤をくり返す」です。

 歴史上の偉人たちはニュートンであれ、エジソンであれ、徳川家康であれ、ほとんどの人が何度も何度も試行錯誤をくり返した上で何らかの偉業を成し遂げています。

 ですから当然私たちも、大きくとも小さくとも何か目標を達成したいのであれば、彼らにならって「試行錯誤=PDCAサイクル」をくり返す必要があるのです。

 僕だって、本書を書くにあたって、かなりの試行錯誤をくり返しています。

 「こんな風に書いてみよう」と計画し、実際に書いてみて、それを読み返して自己評価したり、ほかの人の意見を聞いたりし、「じゃあここをもう少しこんな感じにしてみよう」と改善し、そしてまた「じゃあ今度はこんな風に書いてみよう」とまた計画し……とそれをくり返しています。<

 ……が、しかし。ときどき、とても疲れるんです、このやり方。試行錯誤をくり返すって、気力も体力もけっこう消耗します。

 「改善しなきゃと分かっているんだけどもはや気力が湧かない……」とか、「もう自分の文章に飽きちゃって読み返すのが嫌だ……」とか、「ほかの仕事で疲れちゃって原稿に向かう体力がない……」とか、「もう、誰かにダメ出しされるの嫌だ……」とか。

 僕は気力も体力も、人より充実している方ではありませんから、「ちゃんとPDCA回さなきゃ」と思いつつも、心と身体が付いてこないなんてことは、もう実は日常茶飯事なんです。正直に白状してしまえば、ちゃんとできることの方が少ないくらいです。

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聖書の偉人は勇気をくれる

 でも、「できない自分はダメなんだ……やっぱり僕には無理なんだ……」なんてことは思いません。そんなときは聖書の偉人たちを思い出すんです。

 詳しくはに書きましたが、聖書の登場人物の多くは後世に残る偉大なことをやり遂げています。けれど、その中で「PDCAサイクル」を回した人がいるかというと……意外といません。

 ……と、言うか、一人もいません。ノアも、アブラハムも、ヨセフも、モーセも……悪い言い方をすればみんな「いきあたりばったり」で、神様の祝福を受けて、物事をやり遂げています。

 歴史上の偉人はほぼもれなくPDCAを回して成功していますが、聖書の偉人たちはこの例外なんです。彼らはPDCAを自分で回して道を進んではいません。

 しかも、この人たちは自分が苦境に立たされたとき「こんな自分はダメなんだ……」とは思わずに「神様、私は限界なのであとはお願いします!」みたいなお祈りをしちゃったりしてます。だから僕も、本を書いていてちゃんとサイクルを回す気力体力がないときは「神様、お願いします!」と神様に任せてしまいます。

 と言うと、聖書がPDCAサイクルを否定しているように思えてしまうかもしれません。しかし、それもちょっと違います。神様が聖書を通して私たちに教えていることは、「PDCAを回すのは君自身ではなく、私だ。私に任せろ!」ということなんです。

全部の仕事を背負いこまなくていい

 今、自分の仕事に追い込まれて疲れ果ててしまっている方はいませんか?

 いいんです、全部背負い込まなくて。背負いきれなくなったら「神様、お願いします!」と神様に渡してしまって、いいんです。聖書の偉人たちはみんな、そういう風にして偉業を成し遂げました。

 むしろPDCAの全部を自分で背負い込んだ人たちは「私をどうして信用しないの!?」と神様に怒られて、最終的に成功していなかったりします。

 いつも全部を神様がやってくださるとは限りませんが、PDCAのうち、たとえばP(計画)とC(評価)を神様がやって、D(実行)とA(改善)は自分でやるという場合だってあるでしょう。

 いろんなケースがありますから、一概には言えませんけど、少なくともPDCAの全部を自分で背負いこむ必要はないんです。

 疲れて追い込まれてしまったとき、それはもしかしたら神様が「その仕事、私に任せてみなさい!」と言ってくれているのかもしれません。そう思ったら、少しラクになりませんか。