インターネットの「知の巨人」、読書猿さん。その圧倒的な知識、教養、ユニークな語り口はネットで評判となり、多くのファンを獲得。新刊の『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』には東京大学教授の柳川範之氏「著者の知識が圧倒的」独立研究者の山口周氏「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せるなど、早くも話題になっています。
この連載では、本書の内容を元にしながら「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に著者が回答します。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。(イラスト:塩川いづみ)
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら
(こちらは2020年10月の記事を再掲載したものです)

[質問]
読書や芸術鑑賞で知識を深める事を本当に楽しんでいるのか分からなくなってきました

 はじめまして。読書や芸術鑑賞で知識を深める事を本当に楽しんでいるのか分からなくなってきました。私は月に6~7冊ほど(新書・専門書・小説等ジャンル問わない)読書をしたり、休日には近所の美術館(広い範囲でのミュージアム含む)に行ったりします。

 そして「へえ、そうなんだ」とその場では感心したりはするのですが、そこで得た知識はメモにまとめてもすぐに忘れてしまうし、「面白かった!再読しよう(もう一回行こう)」という気持ちには滅多になりません。

 逆に、隙間時間で見れるようなYoゲーム動画やまとめブログなどのインスタントなコンテンツは、メモしなくても記憶に残るし何度も見てしまいます。

 かけてる時間もお金も「読書芸術鑑賞>ゲームやブログ」なのに楽しんでる量は逆な気がするし、有意義なのかどうかも怪しい気がしてきます。

 さらには、(聞かれてもいないのに)芸術鑑賞や読書をする理由を理論武装する事もあります。(芸術も読書も娯楽でただ楽しいからやっている、みたいに)※教養を持ってる事が必ずしも偉い事だと私は考えません。

 かといって義務感で読書してるわけでもなく、読書や芸術鑑賞自体が(部分的にしんどい事はあるが)ストレスになる事はありません。客観的に見て、これはどのような状態なのでしょうか?

アートを「鑑賞するだけ」では、教養は深まりません

[読書猿の解答]
 大変言いにくいことですが、おそらく知識は深まっていないと思います。新しい体験や知識は、既に知っていることに結びつけられないと、理解することはおろか記憶することすら難しいのです。

 ゲーム動画やまとめブログが記憶に残るのは、あなたの関心と経験が編み上げてきた長期記憶ネットークに引っかかるところが多いからでしょう。

 これに対して読書や芸術鑑賞について記憶に残らないのは、あなたの長期記憶にその刺激を受け止めるものが少ないからです。

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 学ぶことは、何も置いていない空っぽの棚に荷物を積み込むようなものではない。もしそうなら、自分にとって、意味ある事柄も無意味な記号の羅列も、同じように覚えられるはずだが、これは事実ではない。

 我々の長期記憶は、互いに関連付けられ結び付けあうネットワーク状に構成されている。新しい何かを学ぶことは、そのネットワークに新たな要素を組み込むこと、そうすることで既存のネットワークをつなぎ替え、再編成することである。(『独学大全』p.593)
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 新知識と既有知識が結びつくことは、それ自体楽しい経験です。より多くの結びつきができれば、ワクワクする上に忘れにくくなります。それだけなく、同じものを見ても、受け取るものがそれだけ多くなります。

 例えば絵画についていくらか知識がある人は、同じ絵を見ても汲み取れる情報量が多く、また長期記憶にもそれら情報を結び付ける知識を多く持っています。

 例えば次の絵ですが

読書やアート鑑賞をしても「教養」がまったく身に付かない人の行動パターン

 詳しくない人が見れば単なる二人連れが歩いていだけのこの絵も、持物(アトリビュート)について知識がある人が見れば、ぶら下げている魚から片方がトビトの息子トビアスであり、もう片方は天使ラファエルであることが分かります。

 このことに気付かぬ人にとっては魚などたまたま持っていたに過ぎないさして重要でないものとして処理されてしまい、おそらくは何を持っていたのか記憶に残りません。

 さて、持物(アトリビュート)というものを知らない人でも、「ちょっと待て、なんで魚持ってんの?」という疑問を持ち、その疑問を追いかけることができると、多分同じところに至ります。

 こうして疑問を追いかけ、いろんなことを調べていくうちに、自分の絵の見方ががらりと変わっていることに気付くでしょう。

 こうして得られた体験と知識は忘れがたく、そしておそらくは一生ものとなります。

※絵画は「トビアスと天使」ナショナル・ギャラリー(ロンドン)蔵