インターネットの「知の巨人」、読書猿さん。その圧倒的な知識、教養、ユニークな語り口はネットで評判となり、多くのファンを獲得。新刊の『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』には東京大学教授の柳川範之氏「著者の知識が圧倒的」独立研究者の山口周氏「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せるなど、早くも話題になっています。
この連載では、本書の内容を元にしながら「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に著者が回答します。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。(イラスト:塩川いづみ)
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら

9割の人が知らない「言葉を雑に扱わない」ために知るべき5つのポイントPhoto: Adobe Stock

[質問]
言葉を「雑に扱わない」ためにはどうしたらいいのでしょうか。

 以前、「自分が正しいと思ってることを人に押し付けていると言われました」という質問を送った者です。回答していただき、ありがとうございます。言葉で見え方が変化するということを垣間見た気がします。同時に、読書猿さんのおっしゃる通り、私自身、言葉で世界を認識出来ておらず、言葉を雑に扱っていることも実感しました。言霊的な意味での力と、言葉を通して世界を見ることによる力は表裏一体だと感じました(お答えを頂いて、少し心が楽になると同時に、見え方が変化したからです)。しかし、私には、言葉を正しく使うこと、あるいは言葉で世界を認識することはできていません。どこから始めればよいでしょうか。ご教示いただけますと幸いです。

言葉の扱い方がわかると、受け取る影響を自分でコントロールできる

[読書猿の解答]
 それでは5つのことをお話したいと思います。
1.何故言葉が重要なのか
2.距離を置くこと
3.行動に戻る
4.推論しなおす
5.文脈を理解する

1.何故言葉が重要なのか
 言葉が重要なことは自明かもしれませんが、改めて次のことに注意を引きたいと思います。

 私たちは言葉の意味を一体のものとして受け取りますが、その一方で、言葉をいくつかの部分に分けることもできます。

 例えば分節や単語に分けることができるからこそ、私たちは知っている言い回しの一部を入れ替えて再利用することができ、有限個の単語しか知らないのに事実上無限に近い事柄を言い表すこともできます。別種類の切り分けの例を挙げれば、「大嫌い」という言葉の表面的な意味とはちがう「裏の意味」を「あなたの気を引きたい」だと推測する(あるいは思い込む)こともできます。

2.距離を置くこと
 私たちは普段言葉の意味を、改めて考えることなくほぼ無意識に受け取り処理しています。言い換えれば周囲の状況を解釈入りで理解しています。

 例えば相手が目の前にいて十分聞こえるのに、必要以上に大きな声で早口で言葉を発するなら「この人は怒っている」と感じて、それら言葉の解釈にもそのことを無意識に反映させるでしょう。そうして「怒っている人」が自分がやったことについて何か言うのを聞けば、ほぼ自動的に自分が攻撃され否定されたような気分になってしまうことがあります。

 切り分けないでひとかたまりのものとして受け取るとき、言葉の意味は、自分の心に与えた影響(インパクト)とほとんど区別できないものになります。

 逆に、ここで言葉を「分けられるもの」として扱い、何らかの仕方で「分けて」考えようとすると、言葉の意味をダイレクトには受け取れなくなります。これはリアルタイムのやり取りでいうと不利なものですが、ワンクッションをおくことができる訳で、言葉と自分の心に生じたインパクトを分け、言葉と自動的反応の間に、そして言葉とその理解の間に、一種の距離を置くことになります。

3.行動に戻る
 言葉を分けようとすることで「距離が置く」ことができれば、そうして言葉に対する自動反応を抑制できれば、これでようやく誰かの発した言葉を「字句通り」に受け取る条件が整います。と同時に、相手の行動や生じた結果を「自分の解釈(憶測)抜き」に観察することができるようになります。

 これは「相手は私を否定している」という総括的な理解を離れ、それを構成する個々の出来事、相手の発した個々の言葉、相手の身体の動きなど、動画で記録できる現象レベルにまで戻ることでもあります。

 言葉が発せられた「現場」では、そしてリアルタイムでは、正直距離を置くのは難しいでしょう。事後的に、あるいは「現場」を一旦離れてから取り組めば、少しはやりやすくなります。同じ意味で、書き言葉についてなら、言葉を分けることも距離を取ることも、より簡単にできるでしょう。なので感情をあまり波立たせない文章を相手に練習を積むこともできます。

 以上のことは、完璧にはできなくても、そうしようと取り組むだけでも、得られる利益は小さくないでしょう。相手の言葉と行動を(そして自分の湧き上がる思考や感情にも)、振り回されず冷静に捉えなおすことにつながるからです。

4.推論しなおす
 距離を置いて冷静に「字句通り」捉えることで、相手の発言の意味、背景や真意をあらためて解釈し直すこと、そして必要なら理解しなおすことの端緒が開けます。

 例えば相手の言葉や行動をただただ「自分を否定する塊」のようなものとして受け取り、打ちのめされていた状態から、相手の言葉のうちで正しいところとそうでもないところ、自分を害するところとためになるところを「腑分け」できるようになります。総じていえば、相手の言葉から受ける影響を、自分でコントロールできるようになります。

5.文脈を理解する
 実のところ、相手を傷つけようと発せられる言葉でさえ、どれだけ悪質でも、真実に関連する部分を含んでいます(でなければ相手にダメージを与えることすらできないでしょう)。言葉を腑分けし、解釈しなおすことで、邪悪な意図を切り離し、情報源として善用する可能性が出てきます。何故そんな言葉が出てきたのか、相手の都合や背景から理解する余裕が生まれます。必ず、相手の背景を理解しなければならない訳ではありません。しかし相手の意図が分からず混乱し、自分の心的リソースが消耗することを避けるために、こうした再解釈が可能であると知っておくだけでも価値があります。これは自分の言葉が何故相手にまっすぐ伝わらないかを理解する端緒でもあります。

(注記)
例えば個々の行動は動画に映りますが、性格自体は映りません。「性格」なるものは、人々の個々の行動をまとめあげて関連付け理解するための概念(的道具)であり、それら行動を解釈するところに宿ります。解釈自体は動画に映りません。もっとも動画には、お互いの行動を解釈し、その解釈に基づいて相手に反応する人たちの行動は写るので、動画を見ている我々は「この二人の解釈はすれ違っているようだ」と分かることはあり得ます。