これからビジネスパーソンに求められる能力として、注目を集めている「知覚」──。その力を高めるための科学的な理論と具体的なトレーニング方法を解説した「画期的な一冊」が刊行された。メトロポリタン美術館、ボストン美術館で活躍し、イェール・ハーバード大で学んだ神田房枝氏による最新刊『知覚力を磨く──絵画を観察するように世界を見る技法』だ。
先行きが見通せない時代には、思考は本来の力を発揮できなくなる。そこでものを言うのは、思考の前提となる認知、すなわち「知覚(perception)」だ。「どこに眼を向けて、何を感じるのか?」「感じ取った事実をどう解釈するのか?」──あらゆる知的生産の”最上流”には、こうした知覚のプロセスがあり、この”初動”に大きく左右される。「思考力」だけで帳尻を合わせられる時代が終わろうしているいま、真っ先に磨くべきは、「思考”以前”の力=知覚力」なのだ。
その知覚力を高めるためには、いったい何をすればいいのか? 本稿では、特別に同書から一部を抜粋・編集して紹介する。

いつもチャンスをつかめる人、つい逃してしまう人…すべての分かれ目は「知覚」だったPhoto: Adobe Stock

「『すべてが何か違う』
と感じるところを私は気に入った!」

 前回の記事では、「知覚」の価値が「他人とは異なる独自の意味づけ」のなかにあるということについて、ピカソの絵画などを例にお伝えしました。

 今回は、NIKEが世界最大のスポーツブランドになり得た背景にも、やはり独自な解釈があったというお話をしたいと思います。

 同社がいまの地位を築くうえで、重要な役割を果たしたのが「エア」という革新的テクノロジーでした。「エア」とは、スニーカーのラバーソール部分にガスを閉じ込め、柔軟で軽量、かつ持続性あるクッションを実現した技術です。その発明者だったフランク・ルディは、その機能を猫の肉球に喩えています。

 NASAの航空宇宙工学エンジニアだったルディは、専門としていたゴム成形技術をもとに、この新奇なソールを発案しました。「航空宇宙工学で培ったノウハウをスニーカーに応用する」という彼の発想それ自体も、かなり奇抜な意味づけだったと言えます。

 しかしながら、それだけではこの非常識なアイディアが世に出ることはありませんでした。というのも、ルディの提案はすでに、ナイキ以外のスポーツブランドからことごとく拒絶されていたからです。

「エア」大成功の立役者となったのが、NIKE創立者で当時CEOのフィル・ナイトです。彼独自の知覚があったからこそ、スニーカーの常識は一気に塗り変わることになったのです。

 1977年4月、一縷の望みを抱いてナイトの元を訪れたルディは、中敷きの下にエアクッションを仕込んだナイキスニーカーを差し出します。それを試し履きしたナイトは、いきなりその場を走り去り、15分後に戻ってきて次のようにコメントしたといいます。

 「ルディ、君はこの靴のひどさに気づいてない。私の足を死ぬほど痛めつけるよ! にもかかわらずだ、『すべてが何か違う』と感じるところを私は気に入った!」*

 これがNIKEのその後の社運を決定づけました。ナイトのこうした知覚の背景には、彼の中距離ランナーとしての経験、1964年ブルーリボンスポーツ(NIKEの前身)創立以来の知見があったのでしょう。

 あるいは、つねに斬新性が求められる映像アートに彼が関心を持っていたことも、そこに影響していたかもしれません。実際、ナイトは後に、ライカ(Laika)というストップモーション技法を得意とするアニメーション会社のオーナーになっています。

* NIKE, Inc., “History of Air,” December, 2005.

「集められた知覚」が持つ爆発力

 こうして1978年、史上初のエアクッション入りスニーカー「NIKEテイルウィンド79」が完成しました(販売は1979年)。このとき創造された技術が、今日に至るまで半世紀近くもNIKEを支えることになります。しかし振り返れば、ルディの型破りな意味づけと、ほかのどんな経営者も持ち得なかったナイト独自の知覚がなければ、このイノベーションは生まれ得なかったでしょう。

 ルディとナイトの例からもわかるとおり、知覚の持つ創造性は、チームのなかで発揮されることもあります。むしろ、個人の多様な知覚を集めることで、よりいっそうポテンシャルが高まると考えるべきでしょう。