肉と魚の経済学#7

長らく“売れない”が定着していた商品が、今や大ヒット商品に変貌を遂げた。それが、鶏胸肉の「アマタケ サラダチキン」と、特売商品であるサバ缶の高付加価値化に成功した「サヴァ缶」だ。この二つの商品はなぜ変貌を遂げたのか。特集『肉と魚の経済学』(全13回)の#7では、そのシンデレラストーリーを堪能していただこう。(ダイヤモンド編集部 鈴木洋子)

養鶏事業者が見た「胸肉の時代が来る」の夢を
20年越しにかなえたサラダチキン

 コンビニやスーパーでもすっかり定番商品となった「サラダチキン」。約20年前に日本で初めてこれを発売した“生みの親”がアマタケだ。岩手県大船渡市に本社を置く養鶏事業者でもある。

 戦後間もなく創業し、ひよこから自社で抗生物質を与えずに育てる「南部どり」というブランドで、都内を含むスーパーに直接鶏肉を卸すという事業を行っていたアマタケ。そんな同社には野望があった。

 精肉卸だけではなく「ハムやソーセージなど豚肉原料のものばかりの畜産加工品市場を鶏肉で開拓する」という計画だ。特に、昔から日本では人気がない特売商品の「胸肉」をいかに売るか、ということがテーマになっていた。

 一羽の鶏から取れる肉のうち半分は胸肉だが、日本では鶏といえばもも肉が主流で単価も高い。鶏もも肉のから揚げがごちそう、という食文化は昔から日本に根付いていたからだ。

 ところが、海外では鶏といえば胸肉が圧倒的に市場の主流。脂身が少なくヘルシーな素材の代表格として広く認知されていたからだ。毎年米国に流通視察で通う中、こうした情報はすでに早くからキャッチしていたという。

「胸肉ブームは日本でも必ず来る。そのために何とか先んじて市場をつくりたい」。そんな思いの下、アマタケはかれこれ300種類以上の試作品や商品を作り続けてきたという。サラダチキンはその300種類の中の一つ。当初は業務用で、小売り向けには2001年に発売された。現在のように「一枚肉を個別にラッピングする」形となったのは04年のことだ。

 ただ、発売後約10年間は「そこそこ」の成長しかしなかった。11年には東日本大震災で社員10人を津波で失い、四つの加工工場も全壊した。100万羽いた出荷予定の鶏も全廃棄を余儀なくされるなど甚大な被害を受けた。だが、11年内には事業再開にこぎ着けた。市場が“爆発”したのは、その翌年の12年のことだった。